カテゴリー「SP-氣と教育(連載)」の21件の記事

2007/03/15

氣と教育(21) 「全てはセルフコントロールから」(最終回)

藤平信一です。

「氣と教育」の総まとめをしましょう。

私たちは誰でも、何らかの形で教育に携わっています。教育に携わっているのは、学校や習い事の先生だけではありません。

私たちは全て教育者です。

家庭であれば、親は子供を教育しています。学校であれば、先輩が後輩を教育しています。会社であれば、経営者は社員を教育し、上司は部下を教育しています。友人であれば、時に教育し、時に教育されています。

つまり、私たちは「常に誰かに影響を与えている」ということです。

プラスの人間であれば、相手にプラスの影響を与えます。マイナスの人間であれば、相手にマイナスの影響を与えます。いわば、天地自然の法則です。相手をプラスに導くのもマイナスに導くのも、私たち次第なのです。

教育において、「何を伝えるか」は重要なことですが、「どの様な心で伝えるか」は、さらに重要なことです。どんなに正しいことでも、マイナスな心の状態で伝えてしまっては、相手はマイナスになるだけです。

常に誰かに影響を与えている以上、まず自分がプラスの人間になり、相手と接することがとても重要です。全てはセルフコントロールから、なのです。

セルフコントロールは我慢することではありません。我慢には限界があります。ただ我慢を重ねるのは「根性論」です。大事なのは、どうしたら「セルフコントロールが出来るか」です。その答えが「氣の呼吸法」です。

心身統一した姿勢(自然な姿勢)で、呼吸を静かに維持することで、波静まった水面のように心の状態は静まります。心静まった状態で相手と接することが基本です。

教えて育てることを「教育」と言います。教えて圧することを「教圧(強圧)」と言います。相手の言動に感情的になって、刺激にすぐに反応していては、「教育」ではなく「教圧」になってしまいます。

「氣づく力」、「判断する力」、「実現する力」を教えて育てるのも、心を静めているからこそ出来ることです。ぜひ、「氣の呼吸法」を実践して頂きたいと思います。

「氣と教育」は、昨年の「氣フォーラム2006」の内容を基本にして、一年間、連載でお伝えして参りました。

継続してお読み頂いた全ての皆さまに、心より御礼を申し上げます。「氣と教育」でお伝えしたことが、皆さまのお役に立てば幸せです。

ありがとうございました! (完)

※ この記事は「氣の研究会メールマガジン(教育編)」に掲載された記事です。

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2007/03/01

氣と教育(20)「実現する力(4)」

藤平信一です。

実現する力で最も重要なことをお伝えします。

私たちは無意識のうちに、心の中で「自分に出来ること」と、「自分に出来ないこと」を作っています。その結果、「出来る」と思っていることは出来るようになり、「出来ない」と思っていることは出来るようになりません。

極めてシンプルな法則です。

「自分には出来ない」とか「難しい」と思っていることが出来ると、「自分にも出来るんだ」という回路が心に作られます。「自分には出来ない」が「自分にも出来る」に変わっていくとき、人間は急激に成長します。出来ることも急激に広がっていきます。

自分の能力や可能性に氣づく瞬間であり、そのとき人間は氣が出ている状態になり、表情が輝き出します。私が指導をしていて最も幸せに感じる瞬間です。

私は年間で2,000名以上に心身統一合氣道を指導しています。

中には、あまり上達しないと悩む方もいます。確かに身体能力やセンスには個人差があります。しかし、上達しないのは、能力の不足が原因なのではなく、心の中で「自分には出来ない」と思っていることが原因です。

始めのうちは、10回のうち1回でも出来れば上出来です。マイナスに捉えれば「10回のうち9回も出来なかった」訳で、プラスに捉えれば「10回のうち1回は出来た」ということです。どちらにフォーカスするかで、考え方は大きく異なります。

失敗にフォーカスする人は、出来るようにはなりません。心の中で「出来ない」という思いがより強くなるからです。成功にフォーカスする人は、出来るようになってきます。心の中で「出来る」という思いが強くなるからです。

そうすると、自分に出来ることがどんどん増えてきます。つまり、出来るようになるのも、出来るようにならないのも、自分の捉え方の違いだけなのです。

私が心身統一合氣道を指導するときは、相手が「出来る」と思うことを増やすことを心懸けています。そうすることで、相手は氣が出てきて急激に上達します。これは、藤平光一先生の教育を身を以て受け学んだことです。

このシンプルな法則が、実現する力で最も重要です。

そもそも、「自分に出来ること」「自分に出来ないこと」は、能動的に得た考えではなく、教育や環境から受動的に得た考えです。

実際には、世の中にはマイナスな情報で溢れています。不用意に「無理だ」「出来ない」「難しい」という言葉を使いますが、そういった言葉は、基本的な考え方に大きな影響を与えています。「出来ない」と考えやすい人は、その影響を受けています。

自分から能動的に「出来る」と考える回路を作ることが重要です。「出来る」と思うことを、一つずつ増やして行くことなんですね。

ご一緒に実現する力を養いましょう!

※ この記事は「氣の研究会メールマガジン(教育編)」に掲載された記事です。

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2007/02/01

氣と教育(19)「実現する力(3)」

藤平信一です。

日常的なことで氣を切らない習慣になったら、今度は大きな夢で実現する力を養って参りましょう。

大きな夢を実現するには、相対的に時間がかかります。その途中には壁が立ちはだかることもあるでしょう。そこで氣を切ってしまったら実現はしません。

しかし、氣を切らないと言っても、一日中夢のことを考えていては、他の事を全く考えられなくなってしまいます。それでは無理があり、バランスが悪くなってしまいます。

そこで重要なのが「潜在意識の活用」です。

最近は潜在意識の重要性が広く認識されて多くの本が出ています。中には良著もあるので、参考にされると良いと思います。これから本を探す方には、下記の本をお勧めします。

「成功曲線」を描こう。 夢をかなえる仕事のヒント

潜在意識には、「思いの強さ」と「繰り返し」によって深く入ります。

それでは「繰り返し」からお伝えしましょう。

潜在意識は寝ている間に強く働いているので、眠りにつく直前に、鏡にうつる自分に向けて暗示をかけると、特に効果があります。暗示のかけかたは「お前は(あなたは)~だ(できる)」が良いです。鏡にうつる自分から、自分に語りかけられるイメージです。

期間は潜在意識に入るまでです。少なくとも3ヶ月は継続しましょう。途中で止めてしまうのは余りにもったいないので、一旦始めたら続けて下さい。

これを続けるうちに、自分が実現したい夢がはっきりとしてきて、心のなかで鮮やかに描くことが出来るようになります。そうなると、立ちふさがる壁などに負けることはありません。

他の方法として、ご自宅の目につく場所に夢を書き出しておいて、常に目に入るようにしておくのも効果があります。写真があれば、より描きやすくなります。写真を見て、書き出した文章を音読すれば「なお良し」です。

次に「思いの強さ」です。

日常生活で氣を切らないことは、言ってみれば心の準備運動です。これが出来ていないと、潜在意識の活用がうまく出来ません。

日頃あまり運動しない人が、準備運動をしないで運動をすると、身体に無理が出ますね。心も同じことです。

また、日常で氣を切る習慣がある人は、「思い」が弱いので、潜在意識に入れても、思いが弱くて効果が出にくいのです。うまく活用できない方は、日頃の訓練が不足しているのです。

潜在意識を上手に利用すれば、実現する力の助けとなります。私は、実現したいことをまず潜在意識に入れます。それが実現への近道であり、モチベーションを維持し続けるのもとても楽になります。

基礎訓練の上で、潜在意識を活用して参りましょう。

※ この記事は「氣の研究会メールマガジン(教育編)」に掲載された記事です。

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2007/01/18

氣と教育(18)「実現する力(2)」

藤平信一です。

それでは第一段階です。日常生活で、私たちはどんな時に氣を切りやすいでしょうか。

二人で話をしている光景を思い浮かべて下さい。一生懸命に話をしているのに、相手の氣が他のことに取られ、心証を害したことはありませんか。

例えば、話の途中で携帯メールに氣を取られたらどうでしょうか。話を真剣に聞いている姿には見えませんね。最近は、実に多く見られます。

話をする時は、お互い相手に氣を向けるのが当たり前です。相手の氣が他のことに氣を取られると寂しい感じがしますね。話をしている途中で氣を切る一例です。

私は仕事柄、年間を通して多くの方にお目にかかりますが、半分くらいの方が、何らかの形で話の途中で氣を切っています。印象は当然悪く、「もったいない」と思って話を続けています。心ある方には、教えて差し上げるようにしています。

他には、どんな例があるでしょうか。

コンビニエンスストアで買い物をして、店員からお釣りを受け取る時、ぞんざいに渡されて心証を害したことはありませんか。

お釣りを渡すときは、相手の手にお金がしっかりと渡るまで、氣を向けるのが当たり前です。しかし、お金を放した時点で店員の氣が切れてしまうと、乱暴な渡され方になり、何とも言えない寂しい感じがしますね。

物を手渡す時、相手が受け取らないうちに手を放してしまって、物を落としてしまうのも同じことです。物を渡す途中で氣を切る一例です。

一つ一つの例は些細なことに感じるかもしれません。しかし、日頃ちょっとした事で氣を切る人は、重要な仕事においても、途中で氣を切る傾向があります。「些細なことで氣を切る人には、重要なことは頼めない」ということにもなるでしょう。

日頃の訓練があるから大事な場面でも出来るのです。

それでは、「具体的にどの様に訓練するか」ですね。

訓練法はとてもシンプルです。自分がいつ氣を切るかを探すよりも簡単な方法があります。それは、自分に対して氣を切られた結果、自分がされて嫌に感じたことを記録に取ることです。自分が同じことをしていないかチェックすることが近道です。

氣づかないことは、あらためようがありませんね。

そのため、私は嫌だと感じたことを「氣づきのノート」に記し、それを元にチェックし、日々あらためています。「氣づく」だけではいけません。その後の行動が大切です。ご一緒に氣を切らない訓練をして参りましょう。

※ この記事は「氣の研究会メールマガジン(教育編)」に掲載された記事です。

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2006/12/21

氣と教育(17)「実現する力」

藤平信一です。

「氣づく力」「判断する力」と続き、最後に「実現する力」についてお伝えしたいと思います。

何事を行うにも、目標を立て、心をはっきり使うことが重要です。そして、目標を達成するには、時に様々な困難が立ちはだかります。その困難を乗り越える力を持つことが最も重要です。

つまり、「氣(氣持ち)を切らない」習慣をつけて、一つのことを最後までやり遂げる力を持つことです。途中であきらめたり、途中で面倒臭くなったりするのは、せっかく目標に向けた氣を途中で切ってしまうからです。

「氣を切る」とは、どういうことでしょうか。身近な氣の使い方を例にあげましょう。

忙しい時は何でもないのに、休みを取ると風邪を引いてしまって、せっかくの休みを寝て過ごしてしまう・・・。そんなご経験はありませんか。忙しいときは、氣を先に先に向けて生活をしているのですが、いざ休みとなると氣を切ってしまうのです。

氣を切っているという自覚がないので、ただ「休みを取ると風邪を引く」と考える人も多いようですが、そうではありません。氣を切ることで、身体の免疫機能が低下してしまうのです。

同じ休みでも、自分のしたいことがあると氣を切りませんね。その予定に氣を向けているからです。仕事の日も、休みの日も、氣を切らないことが大切です。

日常生活で、我々は無意識に氣を切っています。

「氣を切らない習慣」をつけることが大切です。これは才能や根性ではなく、訓練によって身に付くものです。私も日々、訓練をしています(^^)。

訓練の第一段階は、自分がどんな時に氣を切るのか、自分をよく観察して、自覚出来るようになることです。それには、出来るだけ多くの経験と事例が必要です。

訓練の第二段階は、身近なことで構いませんので、最後まで氣を切らずにやり遂げる体験を積むことです。後まで氣を切らないことを習慣化させます。

訓練の第三段階は、それを大きな目標で活用することです。こうなると困難を乗り越えること自体が楽しくなってきます。その結果、心で描いたことを実現する力を得るのです。

次回から、順番にお伝えしますね。

※ この記事は「氣の研究会メールマガジン(教育編)」に掲載された記事です。

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2006/12/07

氣と教育(16)「判断する力(4)」

藤平信一です。

判断する力のまとめで、心の質についてお伝えします。

心の状態は、常に同じではありません。自分でも氣づかないいうちに、心の状態は変化しています。いつもと同じように同じことをしているつもりでも、心の状態は異なり、それによって生じる結果が変わります。

したがって、正しい判断をするには、判断をするときの自分の心の状態が大切です。

私の知人に、とても面倒見の良い人がいます。人が困っていると、放っておくことが出来ずに手を貸します。根はとても良い方です。

面倒見の良い人であれば、慕われるものだと思うのですが、不思議なことに誰からも感謝されません。本人は、感謝されないことに不満を持っているようです。

原因は一体なんでしょうか。

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答えは、面倒を見るときの心の質なのです。

私の知人は、自分の思い通りに相手の面倒を見たいのです。つまり、「相手のため」にではなく「自分のために」なんですね。相手を自分の思い通りにしようとしているのですから、相手は感謝するどころか反発をします。

面倒を見ているつもりが、お節介をやいていた訳です。

心には質があります。大きく分けると、「自分のために」と「相手のために」です。言い換えれば、「自己中心的な心」と「相手を尊重する心」です。

ちなみに、英語で心身統一合氣道の指導をする際は、前者を「Selfish Mind(セルフィッシュマインド)」、後者を「Universal Mind(ユニバーサルマインド)」と言います。

同じことをするにも、そのどちらの心の状態であるかで、前述の例のように、生じる結果は天と地ほど異なります。自分の心の質をチェックすることが不可欠です。

判断する力に戻りましょう。

判断を誤らせる最大の原因は、心の状態を見ないことです。「相手のために」という視点で判断しているつもりが、いつの間にか「自分のために」という視点で判断しています。その視点にロックされて全てを判断します。

それでは誤った判断をするのも当然です。

「お前の為に言っているんだ」「あなたの為に言っているのよ」と言うときは、注意深く自分の心をチェックするべきです。本当に相手のことを思っているのか、そうでないのか、常に自分の心と向き合うことが大切です。

私自身も、自分では相手のことを考えてしていることが、実は自分のことばかり考えていることがあります。その都度、自分の心と向かい合ってあらためています。

正しい判断をするには、自分の心の質を知ることです。

※ この記事は「氣の研究会メールマガジン(教育編)」に掲載された記事です。

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2006/11/16

氣と教育(15)「判断する力(3)」

藤平信一です。

正しい判断をするには、リスクを考えることが必要です。

推理力を働かせて、判断によってどの様な事が起こるのか、時には、最悪な事態を想定して対処を考えます。

リスクを考えることを「マイナス思考」と考える人がいますが、そうではありません。

一例をあげましょう。

「地震が起きたらどうしよう」と毎日悩んでいたら、それはマイナス思考です。しかし、地震のことを考えないのがプラス思考なのでしょうか。

違いますね。

それでは、地震に備えて避難経路を確認して防災用品を調えることは、マイナス思考でしょうか。

これも違います。

最悪の事態を想定して、対処出来るように準備をすることは、物事をプラスに運ぶためにすることです。行動を起こすために考えるリスクは「プラス思考」なのです。

一方、リスクにとらわれて行動出来ない人がいます。

考え始めるとリスクは無限に存在するので、リスクにとらわれてしまって、前に進むことが出来ません。行動を起こさないために考えるリスクは「マイナス思考」です。

そもそも、マイナスなリスクは「リスク」とは呼びませんね。それは「出来ない言い訳」に過ぎません。

まだ起こっていないことに悩む人が多いのですが、実体のないことに悩んでいても意味がありません。

「失敗したらどうしよう」「嫌われたらどうしよう」「怒られたらどうしよう」という考えは、想像の産物であり実体はありません。こんな考えにとらわれていたら、前に進めません。

リスクを考えているつもりが、出来ない理由を探していないか、振り返ってみることが必要です。

リスクを考えるには、プラスな心の状態が不可欠です。

夜は一日の身体の疲れが蓄積している時間帯なので、知らない内に心がマイナスになっていることがあります。

心がマイナスに陥っているときにリスクを考えようとすると、いつの間にか「出来ない理由」を探しています。

そういうときは、氣の呼吸法を行ってぐっすり眠ることです。翌朝、すっきりした頭、プラスな心でリスクを考えれば、それは判断するために貴重な材料となります。

リスクを考えずに何の準備もしないのは間違いです。リスクに似た「出来ない言い訳」を探すのも間違いです。

リスクを正しく考えられることも「判断する力」なのです。

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2006/11/02

氣と教育(14)「判断する力(2)」

藤平信一です。

判断には正確な情報が必要です。したがって、情報の収集能力は判断する力の土台です。しかし、情報を集めるだけでは正確な判断は下せません。集めた情報を分析して、結論を導き出すことが必要です。

それには、集めた情報をすぐに使える状態にするために、頭の中に情報を整理して入れておくことです。必要な情報をすぐに取り出せる引き出しが増えるほど、正確な判断が出来るようになります。

特に即断即決には、情報の整理が不可欠です。

そもそも、世の中の全情報を集めることは不可能です。未来で起こることを完全に予測することも不可能です。限られた情報を分析をして、結論を導き出す訳ですね。100%間違いない判断など存在しません。

いくら正確な情報を集めても、適切に分析したとしても、決断に迷うことは当然あります。生じる結果が重大であればあるほど、迷いは生じます。そうなってしまうと、いくら頭で考えても結論は出ません。その時に役立つのが、氣の呼吸法で心を静めることです。

波が静まった湖面を思い浮かべて下さい。

湖面の波が無限小に静まると、まるで鏡の様になります。月は月として、鳥は鳥として、ありのままの姿を湖面に映し出します。氣の呼吸法で心の中の波を無限小に静めることで、ありのままを心に映し出し、取りこし苦労や物事へのとらわれから解放されます。

心が静まったとき心に映ることが極めて重要です。

私自身も、判断に迷うと必ず氣の呼吸法を行います。呼吸が苦しいときは、心が静まっていない証拠なので、氣持ちよく出来るまで続けています。

私の経験上、心が静まっていないと物事を平面でとらえ、奥行きや時間軸を考えることが出来ません。「状況が変わるまで待つ」という選択肢があるのですが、何とか今すぐ答えを出そうと焦ってしまいます。待つこともまた、大切な判断の一つです。

多くの方は、心を静める重要性は理解していても、どうすれば心が静まるかはご存じでありません。"What to do"はご存じでも、"How to do"はご存じではありません。その"How to do"が氣の呼吸法です。

氣の呼吸法で「判断する力」を養うことが出来ます。

経営者や責任者など、最終判断をする立場にある方は、判断によって生じる結果に全て責任があります。責任の重い立場にある方こそ、日々、氣の呼吸法を行い、ご一緒に心を静める訓練をして参りましょう。

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2006/10/19

氣と教育(13)「判断する力」

藤平信一です。

「判断する力」は、自立した人間であるために不可欠な力です。ビジネスでも私生活でも、私たちの人生は判断の連続ですね。そして、判断には責任を伴います。

正しい判断をすれば、正しい結果が生じます。誤った判断をすれば、誤った結果が生じます。望ましくない結果を、人や環境に責任転嫁する人がいます。それでは、自立には程遠いですね。

昨今では、お子さんを可愛がるあまりに過保護となって、自分のしたことに責任を取らせないご両親を見かけます。

自分が判断して生じた結果の責任は、全て自分にあります。判断する力を養う最初のステップは、それを教えることです。

次のステップは、判断することに正面から向き合うように教えることです。それには、判断を避ける心理を理解する必要があります。

判断することを面倒に感じる人は少なくありません。「判断には責任が伴う」ことを理解している人にとっては、責任を負うことが痛みであり、ストレスに感じるからです。

重要な判断を人任せにして、逃げてしまう人がいます。責任を負わなくて済むからです。強い意見を持っている人に依存するのも、同じ心理です。

人の意見に常に流されて生きるのが望みであるのであれば、判断から逃げていても良いのかもしれません。そうでないのならば、判断は避けては通れません。

さらに次のステップとして、「自分に判断できるか」を判断することを教えることが大切です。

「自分に判断できるか」「自分が判断しても良いか」が分かると、自分では責任を負えないことを相談する選択肢が生まれます。これが分からないと、全ての責任を自分が負うことになるので、判断することに必要以上に負担を感じます。分からないから面倒に感じるのです。

ビジネスであれば、自分に判断出来ないことは上司に相談します。私生活であれば、人生経験や専門知識が豊富な方に相談します。それが正しい判断です。

人材育成では、「自分に判断できるか」の判断を徹底させます。始めは判断ミスがありますが、学習能力がある人であれば、「自分に判断できるか」どうかの基準がはっきりしてきます。こうなれば一人前です。

その一人前で感動したことがあります。先日、訪問先で、5歳のお子さんと接する機会がありました。

彼は説明書を見ながら、車の模型を組み立てていました。どうしてもうまく出来ないことがあるらしく、私のところにきて、「自分では出来ないので手伝って欲しい」と頼みました。出来ない部分を手伝ってあげると、私の作業をじっと見た後、「ありがとう!あとは自分で出来る!」と言いました。

自分に何が出来て、何が出来ないかを判断出来ていることに大変驚きました。大人でも、自分に何が出来て、何が出来ないかが分からず、判断ミスを続ける人が多くいます。

このお子さんは、経済的には自立している訳ではないですが、判断において5歳にして自立しています。ご両親の教育を物語っているように思いました。

経営者などトップの方は、最終責任を負うべき立場にあるので、意見は求めても、最後は自分で判断しなければいけません。私もその立場にある一人です。

その「判断する力」は、次回以降にお伝えします。

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2006/10/05

氣と教育(12)「氣づく力(4)」

藤平信一です。

広い意味での「氣づく」とは、物事の本質を理解することです。

ゼロ、つまり何もないところから、氣づくことは出来ません。入ってきた情報が、過去に得た氣づきと繋がることによって、新しい氣づきが生まれます。

一つの氣づきがあることで、次の氣づきに繋がります。

同じ体験をしても、ある人は氣づき、ある人は氣づきません。その違いは「氣づきの整理」から生じます。

せっかく氣づいたことも、それをノートや手帳に記すこともなく、そのままに放っておけば忘れてしまいます。得た氣づきは、生まれたばかりの赤ちゃんと良く似ていて、継続的なケアがなければ生きられません。

また、せっかく記録に取っても、氣づきを整理していなければ、すぐに取り出せる状態にはなっていません。それはちょうど、日頃から部屋の整理をしていると、出したいものをすぐに出せる状態になっているのと同じです。

何かを体験をしたときに、過去の氣づきが整理されていると、その体験と過去の氣づきが繋がりやすくなっているのです。

氣づく人は、氣づいたことを記録する習慣を持つ人であり、また、氣づいたことを整理する人です。

そのため、私は「氣づきのノート」を記しています。

本を読んで得た氣づき、成功や失敗をして得た氣づき、日々の変化の氣づきなどを記します。あった出来事や感想を記す日記とは性質が異なります。

このノートには、氣づいたことをただ記録するだけではなく、定期的に読み返すことで、整理しておくことが大切です。

整理の過程で、自分では異なる氣づきだと思っていたことも、実は同じ氣づきであることが分かってきます。ここに物事の本質が見えてきます。

頭の中だけで考えるのではなく、書くことに意味があります。書くことによって氣づきが整理され、書いた氣づきを読み直すことで、さらに整理がされます。

物事の本質を理解する力を養うために、「氣づきのノート」は大きな助けになることでしょう。

(次回に続く)

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2006/09/21

氣と教育(11) 「氣づく力(3)」

藤平信一です。

氣づくためには、氣を向けることが基本でした。

氣を向けることは当たり前のことで、簡単に見えますが、自分で思っているほど出来ていないものです。特に、親子間・夫婦間など、自分にとって身近な人ほど、油断があるのか氣を向けていません。

「自分は大丈夫!」と思っている方が最も危険ですので、一度、心をリセットして読み進めて下さい(^^)。

氣を目標にしっかり向けることは、私達の人生において、最も大切な習慣の一つです。

人は誰でも、自分自身の存在意義を感じ取っています。氣を向けてもらえないと、その存在意義を感じません。存在意義を持てるかどうかは氣の向け方次第です。

一例をあげましょう。

ご両親が共働きのケースで多いのですが、忙しくなると、お子さんが風邪を引いたり問題を起こしたりします。お子さんをお持ちの方は、ご経験がおありだと思います。子供が、両親の氣が自分に向いていないと感じると、自分に氣を向けさせるようとします。

言ってみれば、氣の欠乏症です。それが病氣や問題となった、形として表れるのです。

別の例をあげましょう。

仕事でも同じことが言えて、最も忙しいときに限って、人間関係で問題が生じたり、スタッフに問題が生じます。忙しさで十分に氣を向けていないのが原因です。仕事をなさっている方は、ご経験がおありだと思います。

私も例外ではありません。氣の研究会には、世界18カ国に多くの支部があります。そして数万人の会員の皆様がいらっしゃいます。全ての会員の皆様と接することは出来ないのですが、それでも出来る限り、氣を向ける努力をしています。

氣の向け方が不十分だと、問題となって表れてきます。問題を起こさないように氣を向けることが基本ですが、問題を通して氣の向け方を確認することが大切です。それが氣の学びです。私も日々学びです。

氣づく力を養うことは、氣を向ける訓練をすることです。具体的な方法を一つ、お伝えしたいと思います。

氣を向けていないときは、自分では氣づいていません。自分では氣を向けているつもりなんですね。それが問題で、一度陥ると悪循環になってしまいます。

自分に氣づかないことは、あらためようがありません。まず、日常生活で接している方を観察してみましょう。

コンビニで買い物をしたときに店員の氣が向いているか。レストランでサーブする人の氣が向いているか。会社で接する上司や同僚、部下の氣が向いているか。

自分に氣が向いているときは、自然で良い印象を得ます。向いていないときは、何とも言えない寂しい印象を得ます。

「この人は氣を向けている」「この人は氣向けていない」と分かるようになったら、次に自分が同じことをしていないか、自分の行動に当てはめて考えてみます。

それに基づいて、今度は自分の行動を変えます。これを繰り返すことで、氣を向けることが身に付きます。

ご一緒に学んで参りましょう。

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2006/09/07

氣と教育(10)「氣づく力(2)」

藤平信一です。

教育とは、一方通行ではなく双方向、コミュニケーションです。コミュニケーションで最も重要なことの一つが「変化に氣づく」ことです。

私は、久しぶりに会う人は勿論のこと、毎日会う人に対しても、変化に氣づくように氣を向ける訓練をしています。誰であっても、常に同じ状態であることはありません。そこには何らかの変化があります。

ここ数日に会った方を一人、思い浮かべて頂けますか。

その方と、前回いつお会いになりましたか。前の日かもしれませんし、数年ぶりかもしれませんね。期間に関係なく、前回と今回の変化を思い浮かべて下さい。

何もないでしょうか?いいえそんな事はありません。最低3つはあげてみましょう。

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私の経験上、氣づいた変化を幾つか紹介します。

  • 表情が暗くなる/表情が明るくなる
  • 顔色が悪くなる/顔色が良くなる
  • 呼吸が荒くなる/呼吸が静かになる
  • 視線をそらすようになる/視線をあうようになる
  • 食事の量が減る/食事の量が増える
  • タバコの量が減る/タバコの量が増える
  • 急激にやせる/急激に太る
  • 会話が減る/会話が増える
  • 時間を守らなくなる/時間を守るようになる
  • 身の回りが乱雑になる/身の回りが整理される
  • 言葉が乱暴になる/言葉が丁寧になる
  • お金の始末が悪くなる/お金の始末が良くなる
  • 服装が地味になる/服装が派手になる
  • 運転が乱暴になる/運転が丁寧になる

他にも変化は数え切れないほどあります。女性が髪型を変えるのも、その一つですね(^^)。

ここで重要なのは、こういった変化は単なる現象ではなく、「心の状態の表れ」であることです。つまり、ちょっとした変化に氣づくことによって、その人の心の状態の変化に氣づくことが出来る訳です。

それがプラスの変化であれば、変化に氣づき伝えることで、相手のモチベーションが変わってきます。

それがマイナスの変化であれば、変化に氣づくことによって、相手の不調を未然に防ぐことが出来ます。

氣づくタイミングは、会った瞬間です。毎日会う人も、しばらくぶりに会う人も、その点では一緒です。しかし、毎日会っている人ほど変化に氣づきにくいものです。挨拶をするときに氣をしっかり向けることが重要です。

氣づく力を養うには、正しい心(氣)の向け方が不可欠です。心を積極的に用いて、心(氣)を目標にしっかり向けることを「氣が出ている」と言います。氣が出ているとき、氣づくことが出来ます。

氣を学び、氣づく力を養うことで、自立した人間に不可欠なコミュニケーションの能力が育ちます。

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2006/08/17

氣と教育(9)「氣づく力」

藤平信一です。

「氣づく力」を養うことをお伝えする前に、そもそも氣づくこと、つまり「氣づき」とは何でしょうか。

読み進める前にご一緒に考えてみましょう。

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狭義では「物事の存在を認識する」ことです。
広義では「物事の本質を理解する」ことです。


まずは、「物事の存在を認識する」からお伝えします。

氣づく力は、人間らしく生きる上で不可欠なものです。なぜなら、氣づかないことは、その人にとって「ないのと同然」だからです。

誰かにお世話になっていたとしても、氣づかなければ、何もしてもらっていないのと同じです。感謝の心を持つこともないでしょう。氣づくからこそ、常に感謝の心を持つことが出来ます。

ここで、少しだけお付き合い下さい。

今までにお世話になった方を、出来る限り思い浮かべて頂けますか。

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何人くらいあげられたでしょうか。その方々には感謝の氣持ちをお持ちのはずです。

一方で、今までお世話になっていても、ご自分で認識していない方はいませんか。思い浮かべて頂けますか。

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認識していない方を思い浮かべるとは何とも変な話です。それでも、何人くらいあげられたでしょうか。

先日の私の氣づきですが、東京で大停電がありました。電氣が止まるだけで、首都機能がほぼマヒしました。

いつも電力を安定供給して下さっている方がいます。私は感謝の氣持ちを忘れていました。今まではそれが当たり前で、電力の安定供給に尽力する、多くの方がいらっしゃることを再認識しました。

お世話になっていながら、「ないのも同然」だったのです。普段、感謝の氣持ちを持つこともなく、事故があった時だけ、責めるのではいけませんね(^^)。

あらためて、感謝の氣持ちでいっぱいになりました。

さて、先ほどの問いはいかがでしたでしょうか。

世界では多くの、そして大きな問題が起こっています。

それに氣づかなければ、何も起こっていないのと同じです。問題に対して行動を起こすこともないでしょう。氣づくからこそ、自分に出来ることから行動を起こせます。

自分自身の課題に氣づくこともとても重要です。

自分のあら探しをするのでなく、自分を見つめることです。何も氣づかなければ、あらためることはないでしょう。氣づくからこそ、常に成長できます。

氣づきというインプットがあるからこそ、行動というアウトプットがあります。氣づきがなければ、何の行動を起こすこともありません。

氣づきを得ることで、私たちの人生は豊かになります。

(次回に続く)

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2006/08/03

氣と教育(8)「自立した人間の育成」

藤平信一です。

「氣と教育」の本題に入りましょう。

私は「自立した人間」を育成することを教育の大きな目標に掲げています。

狭義で言えば、自立とは「自分の力だけで物事ができる」ことです。また、経済的な独立を思い浮かべる方が多いようです。しかし、本当の意味での「自立」とは、それだけではありません。

教育に関する講演やワークショップで必ずお伝えするのですが、私は以下の3つの力を持っていることを「自立」と定義しています。

 【氣づく力】
 【判断する力】
 【実現する力】

そして、三つの力の土台となるのが「セルフコントロール」です。

今回はこの三つの力の概要をお話します。

【氣づく力】

氣づかないことは、私たちにとって「存在しない」のと一緒です。存在しなければ、心を向けることも行動することも出来ません。氣づくことによって、自分が成長することが出来ます。

氣づくことによって、相手の心を察することが出来ます。氣づくためには「氣が出ている」ことが不可欠です。自分の力で、氣が出ている状態を保つことが「氣づく力」です。氣の学びによって「氣づく力」が身に付きます。

【判断する力】

人間の考えで「絶対に正しい」と言えることはありません。したがって、絶対に正しい判断などあり得ません。一方で、「天地自然の法則に従うこと」を正しいとするならば、
そこには常に正しい判断があります。

自分の力で、正しい判断ができることが「判断する力」です。氣の学びによって「判断する力」が身に付きます。

【実現する力】

物事を行うのに、ただ何となくしていては成果は得られません。心をはっきり使うために、目標を出来るだけ明確にして、目標に到達する方法を考え、それを継続することが大切です。

自分の力でそれを出来ることが「実現する力」です。氣の学びによって「実現する力」が身に付きます。

次回から、3つの力について詳しくお伝えします。

(次回に続く)

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2006/07/24

氣と教育(7)「相手が心をはっきり使えるように伝える」

藤平信一です。

企業の管理職研修でよく頂くご相談があります。

「部下の能力が低く、自分が指示したことを満足に出来ない」「部下にやる氣がなくて、自分から積極的に動く姿勢がない」など、部下に対する不満ですが、同じように感じる方もいらっしゃるではないでしょうか。

しかし、土台の部分でこの考え方は間違っています。それは何でしょうか。読み進める前に考えてみて下さい。

それは・・・・・、「悪いのは全て部下で、自分は悪くない」という考え方です。このような思い込みを持っていると、自分自身を変える前に、部下のことを変えようとするので、部下は必ず反発をします。信頼関係も崩れてしまいます。そうなると、あとは悪循環です。

部下が出来ないとき、部下が積極的に動こうとしないときは、部下の能力ややる氣の問題もあるとは思うのですが、ほとんどの場合、上司の指示や説明にこそ問題があります。それに氣づきあらためると、状況は劇的に改善します。

今回は特に多く見られる問題を二つお伝えしたいと思います。

一つの問題は目的を明らかにしないことです。

上司が部下に指示をするとき、それを「何のために」するのか、十分に説明をしない人がいます。「何のために」がないと、部下は子供の使いになってしまいます。

実は、私も今まで何度か失敗しています。

講習会で使用する会場を私の部下に下見に行かせたときに、私は「何のために」を十分に説明しませんでした。

私としては、参加者の視点で、最寄り駅から会場への行き方、ロッカーや貴重品ボックスの有無、レストランの有無などを、事前に調べることを目的で下見をさせました。それを、ただ下見に行かせてしまったのです。

「広くて綺麗な会場でした」

部下の報告は一言でした(T_T)。

「何のために」を説明さえしておけば、大抵の人間であれば、自分の頭で考えて行動をする力を持っています。それが出来ないのには、私の失敗例のように上司に問題の一端があります。

もう一つの問題は言葉の定義が明らかでないことです。

「しっかりしなさい」「頑張りなさい」という指示をする人がいます。何氣なく使いやすい言葉ですね。しっかりするとは、具体的に「何を」「どの様に」することでしょうか。頑張るとは、具体的に「何を」「どの様に」することなのでしょうか。

そもそも、上司の使う言葉と部下が理解する言葉は違います。同じ言葉でも、言葉に対して持っているイメージが違うためです。

「どうしたら達成か」「どうなって欲しいか」を具体的に示すことで、部下は心をはっきり使うことが出来ます。

やるべき事が分からずに、もし失敗すると怒られる環境であれば、部下は「自分から行動しない」消極的な姿勢になります。やるべき事が分かるだけで、積極的な姿勢に変わってきます。

「上司から部下にそこまでしないといけないのでしょうか」と、中には疑問を持つ方もいらっしゃいます。勿論、部下が上司の意向を汲み取ることが大切ですし、それが出来る優秀な人材を集めることも大切でしょう。

しかし、教えずに出来るのは、おそらく100人に1人くらいです。ほとんどの人は、訓練することで出来るようになります。上司が教育するからこそ、部下は出来る人材になります。

それには「自分が何をすれば良いか」「自分が何を目標したら良いか」、相手がはっきり心を使えるように伝えることが大切です。

会社の上司と部下の関係でお伝えしてきましたが、ご家庭であれば親と子、学校であれば先生と生徒ですね。同じことが当てはまります。

ご一緒に取り組んで参りましょう。

(次回に続く)

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2006/06/15

氣と教育(6)「まず自分が変わる」

藤平信一です。

私たちの心の中には「相手を自分の思い通りに動かしたい」という、自己中心的な心を持っています。相手を自分の思い通りにしようとしれば、相手は反発します。

コミュニケーションにおいて、それが顕著に表れます。相手に氣に入らないことがあると、まず相手を変えようとします。自分は変わりたくないからです。

相手の心は自分の思い通りにはなりません。最も簡単なのは自分の心を自分の思い通りに動かすことです。

昔からよく「鏡の映る自分の姿」として例えられることですが、鏡に映る自分の顔が笑うには、まず自分が笑うことですね。鏡の前の自分が笑っていないのに、鏡の中の自分が笑うことは絶対にありません。相手を変えたいのであれば、まず自分が変わることです。

教育はコミュニケーションです。同じことが言えます。

相手に良くなって欲しい一心で相手に伝えているつもりが、実は、自分の価値観を相手に押しつけていることがあります。それは「教育」ではなく、「教圧(強圧)」と言います。私も内弟子やスタッフを育成する中で自問自答しています。時に、教圧をしている自分に氣づきます。

先日、ある会社の人材研修で指導に伺ったときのお話です。

50名ほどの社員がいる会社で、社長を中心とした組織です。全社員が日々、社長とコミュニケーションを取る機会があります。研修の依頼を頂いた主な理由は、社員のモチベーションが低く、マイナスな雰囲氣をプラスにしたいとのことでした。

私が会社に伺って、わずか数分で問題の原因が分かりました。何だと思われますか・・・?

答えはとてもシンプル、社長の言動がとてもマイナスなんです。

対外的な場面では、氣さくな方で感情的にはならないのですが、社内ではとても厳しく、それだけでなくマイナスなんですね。眉間にシワをよせて、注意をする際も声を荒げていました。横で拝見していても、とにかく恐いんです。

それでも一生懸命、教育するつもりでなさっていたことでした。相手に氣(氣持ち)を向けないよりは良いのかもしれませんが、常にマイナスな氣を向けられていては社員もたまりません。

研修では二人一組になり、プラスの言動とマイナスの言動で、どれだけモチベーションが違うかを全員にご体験頂きました。その社長さんは大変優秀な方で、すぐに自分で氣づきました。

先生、社内がマイナスなのは私が原因なのですね

ある中学校に勤めているお若い先生が私の講座に来られて、「最近の生徒はろくに挨拶が出来ない」と、もらしていました。「どうしたら生徒に挨拶をさせられるか」と質問を頂きました。

そこで、「先生はどの様に挨拶していますか」と尋ねたところ、生徒が挨拶するのを待って挨拶しているとのことでした。もうお分かりですね?生徒に挨拶をさせる前に、まず自分が積極的に生徒に心を向け、挨拶する習慣を生徒につける事が大切です。

こうしてお伝えすると、「なんだ、そんな当たり前のこと!」と思われるかもしれませんが、誰もが陥りやすいポイントです。

会社を良くしたいばかり、社員を変えることにとらわれて、自分が変わることに心が至らないのです。

これが親子であれば、お子さんを良くしたいばかりに、自分が変わることを怠ることと同じです。

これがご夫婦であれば、夫や妻を良くしたいばかりに、自分が変わることを怠るのと同じです。

これが学校であれば、生徒さんを良くしたいばかりに、自分が変わることを怠るのと同じです。

教育とはコミュニケーション、つまり、自分が先に変わることが絶対不可欠なのです。

(次回に続く)

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2006/06/01

氣と教育(5)「氣を向けるから理解ができる」

藤平信一です。

私は現在、4人の内弟子の育成をしています。ここで、そのうちの一人のエピソードをお話したいと思います。

今から4年ほど前の話です。彼は始め、人の話を聞いてもほとんど理解を出来ませんでした。10の事を頼んだとすると、きちんと出来るのは1か2くらいでした。いくら教えたり注意をしたりしても、本人は氣が引っ込むだけで、ますます仕事が出来なくなってしまいます。

ここで、私はある重大な勘違いをしてしまいました。それは「彼には能力がないんだ」と思い込んでしまったのです。いくら説明してもムダと半ばあきらめていました。

そんな状況を、藤平 光一先生に報告をする機会がありました。「お前も大変だな」という言葉をどこかで期待していたのですが、藤平 光一先生の言葉は、私の期待とは正反対のものでした。

それは彼の問題ではなく、お前の問題だよ

・・・・・

なぜ、私が悪いのか、その時は訳が分かりませんでした。数日間じっと考え込みましたが、それでも答えは出ません。そこで、彼がなぜ出来ないか理解しとうと努力を始めました。笑い話のようですが、じっくりと観察を始めたのです。

そんな中、何事にも代えられない大きな氣づきを得ました。彼は人の話を聞くときに、氣持ちが散漫になっていて、話をする相手に氣を向けていないことに氣づいたのです。

相手に氣を向けるため、昔から「相手の目を見なさい」と言われます。しかし、意識して相手の目を見ようとすると目にとらわれてしまって、疲れるばかりか、他のものが全く見えなくなってしまいます。そのため、ただ「氣を向けなさい」というだけでは不親切なんですね。

どうすれば良いかというと、「相手の鼻のあたりを見る」ことです。相手の鼻のあたりを見るということは、相手の目や視線も含めて、相手の顔全体が見えるということです。しかも全く疲れません。それでいて相手には、まっすぐ目を見ているように映っています。二人一組でやってみると、すぐに分かります。

相手の鼻を見ると印象がぼやけると言う人もいるようですが、鼻に一点集中して見たら、目にとらわれるのと同じことです。これも二人一組でやってみれば分かることですが、鼻を見つめ合うと、鼻を隠したくなるような(?)変な感じがします。

相手にしっかり氣を向けるには、相手の鼻の辺りを見ることです。

さっそく、その内弟子に氣を向ける訓練をさせました。その結果どうなったかというと、なんと、相手の話をしっかり理解出来るようになったのです!私が頼むことは抜けなく確実に出来るようになりました。今では、私は心から信頼をしています。

会員の皆様から「彼は変わりましたね~」とお誉めの言葉を頂き、自分のことのように嬉しかったのを覚えています。

つまり、能力がないのではなく、氣の向け方を知らなかったのです。あやうく一人の青年をダメにしてしまうところでした。「能力がないから無理」と決めつけてしまっている私に対して、藤平 光一先生が注意されていたのでした。

実は、仕事や勉強が出来ないと言われている方の大部分が、能力がないのではなく、氣の向け方を知らないだけなのです。私は今、企業や学校で氣の向け方を重点的にお伝えしています。氣の向け方を訓練するだけで、本来の能力を発揮できるのです。

ここは重要なポイントです。

経営者や管理職、先生や親御さんなど人を導く立場にある方は、絶対に理解をして頂きたい点です。

これもまた、氣の学びなんですね。

(次回に続く)

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2006/05/18

氣と教育(4)「心と身体の基本法則」

藤平信一です。

ここで、基本的な心と身体(からだ)の法則について確認しましょう。

心と身体は本来一つのものです。一緒に用いるのが自然です。しかし、日常生活で私たちは心と身体を別々に使いがちです。

例えば「やりたくない」と思いながら行動することはありませんか。心を十分に目標に向けずに、身体だけ使っている状態です。この状態を「心身分離(しんしんぶんり)」と言います。心身分離の状態では、身体は疲れやすく能率も悪くなります。

一例をあげましょう。

誰でも経験あると思いますが、朝目が覚めてから、「まだ寝ていたいな~」と思いながら起きることがありますね。心が起きていない状態で、身体だけ起きようとしている訳です。この状態では、起きるだけで氣力・体力を消耗してしまいます。

一方で、自分の好きなことをしているときはどうでしょうか。好きなことには、心をしっかり目標に向けて身体を使っています。この状態を「心身一如(しんしんいちにょ)」と言います。心身一如の状態では、活き活きとしていて、能率も良いものです。

朝が苦手で普段は朝寝坊している人も、ゴルフが好きな方は、ゴルフに出かける朝だけは氣持ち良く早起き出来ます。同じ事を氣の進まない日にしたら大変なストレスかもしれません。

身体は形があるので、目で見て手で触れて確かめることが出来ます。しかし、心には色も形もないので、その存在を忘れがちです。身体の状態は心の状態から大きな影響を受けています。まさに心ひとつなんですね。

心身一如の状態を「氣が出ている」と言います。氣が出ているときに、私たちの能力は最大限に発揮されます。ちなみに、心身分離の状態を「氣が出ていない」と言います。心と身体は一つのもの、したがって一つに使うのが自然な状態です。つまり、私たちは「氣が出ている」のが当たり前なのです。

「氣は使うと消耗するのではないですか」という質問を受けますが、そんな事はありません。

天地自然の氣と私たちの氣は常に交流しています。水の性質を思い浮かべてください。停滞している水は淀みますが、流れている水は淀みません。

私たちの氣も同じことが言えます。

氣を出すことによって、新しい氣が入ってきます。氣が交流するのです。その交流が妨げられた状態が「病氣」です。氣が出ていれば元氣になるのが当たり前で、消耗してしまうのは、心の使い方がどこか違っています。

氣が出ていることが教育において最も重要なのです。

(次回に続く)

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2006/05/04

氣と教育(3)「環境を整えて相手の成長を見守る」

藤平信一です。

それでは「育てる」とは、具体的に何をすることでしょうか。続きを読み進める前に、少し考えてみましょう。

・・・・・
・・・・・
・・・・・

いかがでしょうか。

「育てる」とは「環境を整えて相手の成長を見守る」こと、私はこのように定義しています。

なぜ、定義が必要かと言いますと、ほとんどの方が、「自分が育てている」という勘違いをしている為です。

作物の成長する過程を思い浮かべてみて下さい。作物を育てているのは天地自然であり、人ではありません。自分が育てているという考えは傲慢と言っても良いでしょう。

畑を耕して、必要に応じて水や肥料を与え、風雨から守り、その結果、立派な作物になります。種を蒔いただけでは、立派な作物にはなりません。人もまた同じです。環境を整えて成長を見守ることが大切です。

「自分が育てている」という勘違いは、全てを見誤らせます。一つは、相手を自分の思い通りに変えようとすることです。

親子関係でよく頂くご相談に、「子供を教育しようとしても、子供が自分の意見を全く聞こうとしない」ことがあります。「何とか子供に聞く耳を持たせて欲しい」ということなんです。

お子さんに問題があることもあるのですが、実際のところは、親御さんに問題があることがほとんどです。お子さんに良かれと思ってしていることが、いつの間にか、子供を自分の思い通りに動かしてしまっているのです。

大人と同じく、子供も誰かの言いなりにはなりたくありません。子供が幼いうちは親御さんの言うことを聞くしかありませんが、少し大きくなってくると反発を始めます。

相手を思って育てていたはずが、自分でも氣づかないうちに、相手を自分の思い通りに育てようとしている・・・。

恐いことですね。

もう一つは、自分のペースで相手を育てようとすることです。その結果、相手の成長を待つゆとりをなくしてしまうのです。

作物は、種を蒔いた翌日に収穫しようとしても無理ですよね。作物が育つには、天地自然の法則に従って時間が必要です。この当たり前の法則が、人を育てる上では忘れられがちです。

何度言っても出来ないと「何でこんなことが出来ないの?」とか、「何度同じことを言わせるの?」と言いたくもなるものです。

相手が出来るようになるには、相手が意味をしっかり理解して、自分の意思で行動して、それを習慣づけることです。

意味を理解していないならば、意味をしっかり理解するまで、習慣になっていなければ、それがしっかり習慣となるまで、同じ事を繰り返し何度でも伝える姿勢が不可欠です。

企業の人材育成の場合は、スピードがとても重要な要素です。そのような悠長なことも言っていられないのが現実です。したがって、企業は育てるべき相手を選ぶべきなのですが、それでも育てる際には、同じように根氣が必要です。

森羅万象、天地自然が育てています。人が出来ることは唯一、環境を整えて成長を見守ることです。

「教える」ことと「育てる」こと、いかがでしたでしょうか。

(次回に続く)

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2006/04/20

氣と教育(2) 「教育はコミュニケーションである」

藤平信一です。

そもそも、正しい教育とは何でしょうか。

教育とは文字通り「教えて育てる」ことです。私は「教える」ことと「育てる」ことをこの様に定義しています。

「教える」とは「相手が正しく理解して出来るように伝えること」、「育てる」とは「環境を整えて相手の成長を見守ること」です。

まず、「教える」ことからお話したいと思います。

「教える」というと、教える人から教わる人に一方的に伝えるイメージを持つ方が多いのですが、それは正しくありません。相手が自分の伝えたことを正しく理解しているかどうかは、実は、相手の氣(心の状態)を見るとはっきり分かります。

見るべきポイントは、相手が自分に氣を向けているかです。相手が自分に対して氣を向けていないときにいくら話しても、相手の心には届いていません。

また、相手がプラスの氣を発しているか見るのもポイントです。人は「理解できている」ときは、プラスの氣を発しています。一方で、理解できないことに対しては不安や動揺があるので、必ずマイナスな氣を発しています。

自分が伝えたことに対して、相手がプラスの氣を発しているか、マイナスの氣を発しているかで、相手の理解度が分かります。ところが、相手の氣(心の状態)を見ずにただ伝える人は、伝えた事実に満足して、相手の理解に興味を持ちません。

ここが重要なのですが、相手が正しく理解をしていないならば「伝えなかったのと一緒」なのです。したがって、よく聞く「言ってあったでしょう?」は禁句です。この姿勢を持っているかどうかが教育において重要です。

これを本格的に社内研修に取り入れている会社があります。

その会社では、「伝えた・聞いてない」「渡した・もらってない」、社員間でトラブルが頻発していました。「メールを送った・届いていない」も本質は同じですね。

伝える側・渡す側が相手の氣を見ていなかったのが原因です。相手の氣が自分に向いているかどうかをチェックした上で、相手がプラスの氣を発しているか確認をすることが大切です。

研修では実際に氣の向け方・見方をデモンストレーションして、一人一人に体験して頂きます。訓練によって相手の理解度が手に取るように分かってきます。こうなると、あとは現場での応用なんですね。

この会社は、研修によってトラブルが10分の1以下になりました。相手の氣(心の状態)を見ることが如何に重要かの実証です。

教育に話を戻しますと、教えるとは一方的に伝えることではなく、相手が正しく理解しているかを見ながら伝えることです。

教育は一方通行ではなく、コミュニケーションなのです。

(次回に続く)

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2006/04/06

氣と教育(1) 「人は誰でも教育に携わっている」

藤平信一です。

2006年4月より「氣と教育」をテーマに、隔週連載でコラムをお届けします。左側のメニューの"Categories"から"Special Topics"をお選び頂きますとバックナンバーもお読み頂けます。

これからも、藤平 信一「氣づきのブログ」を宜しくお願いいたします。

私は氣の研究会のセミナーで年間1,000名以上の方に接しています。その他にも企業向けに講演や研修をさせて頂いています。同じ方は二人といらっしゃらないので、多くの氣づきを頂いています。

教育や人材育成がテーマの場合、必ずお聞きする質問があります。

「皆さんは教育に携わっていますか?」

答えは「はい」でしょうか。それとも「いいえ」でしょうか。

実際に質問をしてみますと、ほとんどの方が「いいえ」と答えます。教育に携わるというと、どうやら学校の先生を思い浮かべるようです。間違いではないのですが、この認識には大きな落とし穴があります。

私たちは何かしらの形で教育に携わっているからです。

教育は学校の先生や専門家だけがするものではありません。ご家庭でお子さんがいる方は、お子さんの教育をしています。職場で部下・後輩がいる方は、部下・後輩の教育をしていますね。この認識がないと、「自分は教育には関係ない」と思ってしまうので、正しい教育というものに対して関心を持ちません。

車を運転出来るようにためには、多くの人は自動車学校に通って、運転に必要な知識と実技を何十時間もかけて学びますね。教育は車の運転以上にじっくり時間をかけて学ぶべきものですが、日本では学ぶ機会があまりありません。

親になり、上司や先輩になると、教育をする立場になる訳ですが、それまで関心を持っていなかった方がいきなり教育をしようとしても、何をして良いか分からず、時に間違った教育をしてしまいます。交通規則の勉強や運転の練習をせずに、いきなり路上に出て、自分なりに車を運転するのと同じことです。

これは実に危険なことなんですね。

先日、ある会社の社長から人材育成について相談を受けました。相談内容は「管理職に人を育てる自覚がない」とのことでした。

社員を管理職にする前に、管理職の役割を理解させているか、また、人を育てる具体的な訓練をしているかお尋ねしました。すると、前任から業務内容に関する引き継ぎをしただけでした。つまり、人を育てる訓練が何もされていませんでした。自動車免許を持たずにいきなり路上で運転させていたんですね。

現在は、社長が求める「人を育てる能力」を具体的に定義して、管理職志望の社員には人を育てる訓練をしています。そうすることで、「人を育てる」ことに対してアンテナが立ちました。アンテナさえ立てば、あとは自分自身で氣づくことができます。

私たちは、自分がされたように相手を教育する傾向があります。感情的に怒られて育った人は、自分も感情的に怒って育てます。優しく諭されて育った人は、自分も優しく諭して育てます。育てられた過程で嫌な思いをすれば反面教師にもなり得ますが、それも含めて、どう育てるかは、どう育てられらかで決まります。

自分の受けた教育を見直す機会が必要だと私は考えています。それによって、自分の受けた教育に感謝できる機会にもなります。

もちろん、教育の方法は一つではありません。どの方法が正しく、どの方法が間違いということはありません。しかし、本質においては正しい・間違いがあります。

(次回に続く)

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