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2019/02/01

角度を変えてみる

Mail_magazine


私は子どもの頃、12年ほどピアノに触れる機会がありました。藤平光一先生のお弟子さんにピアニストがいらして、直に教えて頂いていました。私には勿体ない先生で、不良生徒でしたが、そのときに教わったことが今になってようやく理解出来るようになってきました。

例えば「心を静める」こと。レッスンの前にピアノを前に座り、心を静めることを徹底されます。「心が身体を動かす」のですから、心の状態は音にも影響していて、心の状態が乱れるとピアノの音も乱れます。

心が静まっていないと、自分の奏でる音を聴くことも出来ません。心が静まるのを確認してからはじめて、鍵盤に触れることが許されます。この訓練のお陰で、何かを行うときに心の状態をみる習慣が出来ました。それは心身統一合氣道の稽古に直結していました。

例えば「氣を切らない」こと。一つの音の終わりは、次の音の始まりです。しかし、一音一音で氣が切れると、旋律が乱れてしまうのです。音のない瞬間も氣が切れることはなく、それも音楽の一部です。「間(ま)」についても、この頃に感覚が磨かれました。

私は性格的に氣を切りやすかったようで、その度に注意を受けましたこのお陰で、物事の終わりに氣を切らない習慣が出来ました。「一つの技の終わりは次の技の始まり」という感覚もそこで得ました。

例えば「無限小に静まる」こと。一つの音は、ひとたび発せられると、無限小に静まっていきます。ひとことで言えば「静止状態」に帰するのです。この静止がないと、落ち着きがなく上擦った演奏になります。これは当時はまったく理解出来ず、今になってようやく分かって来ました。

一つの動作の後が静止することで、次の動作に繋がっています。「静」から「動」が生まれ、「動」から「静」に戻っていく。技における「静動一致」の理解のルーツは、おそらくここにあったのだと思います。

「合氣道の後継者を育成するのに、なぜピアノを学ばせるのですか」と藤平光一先生に質問した人がいたそうです。当然の疑問でしょう。

正面からみているだけでは分からないことも、角度を変えてみることで、はじめて分かることがあります。これは、異なるものを自分なりに混ぜる姿勢では絶対に得られません。異なるものに共通する土台を理解する姿勢だからこそ得られます。

藤平光一先生は、私にそれをさせたかったのでしょう。また、音楽における私の先生はその目的に最適の方であったのでしょう。

ピアノには、もう20年近く触れていません。とてもではないですが、どなたかに聴いて頂く状態にはありません。それでも最近では、周囲に誰もいないときに本部宿泊研修施設にあるグランドピアノに触れています。今では、音を聴いて自分の心の状態がよく分かります。

以下は余談です。

そんな訳で、日頃からピアノ楽曲をよく聴きます。

今であれば、20年前に録音された横山幸雄さんの超絶技巧練習曲集(リスト)を、あらためて聴き込んでいます。S.139第8番「狩り」は何度聴いたか分かりません。

ポリーニ・コレクション(ショパン)もそうです。マウリツィオ・ポリーニによるエチュード(練習曲)やバラードを良く聴きます。バラード第4番Op.52は特にそうです。

クリスティアン・ツィマーマン演奏によるピアノ協奏曲(ショパン)も好んで聴きます。ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮による1978年・1979年録音版です。

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