私は慶應義塾大学の非常勤講師も務めています。いつの時代でも若者は「最近の者は」と不満を持たれるものですが、それでも素晴らしい若者はたくさんいます。
その青年は、10年ほど前に授業を受講した学生でした。武道に興味があるものの道場に入門する勇氣まではなかったそうで、私が指導する授業で合氣道を履修していました。
合氣道が日常生活に活きることに感銘を受け、通年の授業の後に、手書きの丁寧なお礼状を受け取りました。大学を卒業後も、年賀状や暑中見舞いは欠かすことなく、年に一度は手紙で近況報告がありました。
その青年が今年、独立して新しく事業を始めることになりました。私も出来ることを最大限協力しようと考えています。私がそのような思いになったのも、この青年が「縁」というものを大切に育てているからです。
どれだけ望んでも、得られる縁もあれば、得られない縁もあります。縁は、お金で買うことは出来ません。だからこそ、縁は大切に育てて行かなければいけません。人間は簡単に得たものは粗末にする傾向があります。授業でただ会ったという発想では縁とは感じないでしょう。
この広い世の中で、私が大学の非常勤講師をさせて頂いていることも、青年がこの大学に入学し、しかも合氣道の授業を履修していることも、大変な巡り合わせと言えます。どこかで何かが違っただけでも、巡り会うことはなかった訳です。
そう考えると、縁とは実に「有り難い」ものです。
自己中心的な考え方で生きていると、損得だけで人と付き合うので、自分の都合だけで関係を持ったり切ったりします。それでは縁が育つこともなく、協力を得られることはありません。
この青年は、親御さんから「縁を大切にしなさい」と教わって育ち、親元を離れてから、それを実践しているのだそうです。手紙を書くことも好きだそうで、本当に素晴らしい習慣です。私以外にも、多くの人が協力したいと思っているに違いありません。この青年の成功の土台はすでに出来ています。
縁を育てるには、氣が通っていることが基本です。たとえ年に一回年賀状を送るだけでも、相手のことを忘れていない、お世話になったことを忘れていないことが伝わります。一方、毎日顔を合わせている家族でも、氣が通わないこともあります。
どうしたら、相手に氣を届けられるか、手紙を書くこともそうですが、様々な工夫が出来ます。皆さんは、お世話になった方と現在も氣が通っているでしょうか。