« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月の3件の記事

2011/02/24

GOETHE(2011年4月号)

Goethe_2

藤平信一です。

雑誌「GOETHE(ゲーテ)」の2011年4月の書評「とっておきBOOK」の書評で、藤平光一先生の著書「氣の呼吸法(幻冬舎)」が紹介されています。

同じ記事が「WEB GOETHE」にある「清水ミチコと穂村弘のリレー書評」でお読み頂けます。

|

2011/02/11

氣フォーラム2011 指導

Ki_forum_2

藤平信一です。

本日、東京国際フォーラムにて「氣フォーラム2011」を開催しました。日本全国から、そして海外から、100名以上の皆様にご参加を頂きました。大雪で交通機関が乱れる中、お越し頂いた皆様には有り難うございました。

心身統一合氣道の根幹である氣の原理(心が身体を動かす)に基づき、三部構成で、一部は「人との関わり」、二部は「臍下の一点」、三部は「集中と執着」をお伝えしました。写真は、剣を用いたデモンストレーションをしているものです。

毎年、一回開催して参りました「氣フォーラム」ですが、東京国際フォーラムで開催する現在の形式は今回で最後です。次回から、皆様のご要望にお応えして、心身統一合氣道会 総本部道場で合宿形式で開催することを企画しています。

氣の呼吸法・氣の意思法・氣の体操法・洗心の行・息心の行・竹斬りの行を通じて、氣の原理をしっかりと体得して頂けるような合宿にしたいと考えています。詳細が決まりましたら、この「心身統一合氣道会 指導者心得」で発表します。

|

2011/02/01

指摘を受け入れる

藤平信一です。

人間は完璧ではありません。間違いは誰にでもあります。だからこそ、人から間違いを指摘された際は、「ありがとうございます」と受け入れる姿勢が必要です。この姿勢があるかどうかで人生が変わります。

しかし、間違いを指摘されると、全人格を否定されたと思う人がいます。間違いを指摘した人との関わりを絶ち、時には敵意を向けます。自分にとって心地良いことを言う人とだけ関わりを持とうとします。

当然のことながら、間違いを指摘する人はいなくなり、考え方や行動が間違っていても、ずっとそのままです。

何年か前に、私が指導先で経験したことです。

心身統一合氣道の技の稽古で、動きが間違っているため何度か指導していたところ、ある生徒の表情が曇って来ました。最後には泣き出してしまいました。

自分の伝え方が悪かったのではないか振り返って見たのですが、同じように指導を受けた他の生徒は活き活きしています。そこで、私はその生徒に尋ねてみたところ、こんなやり取りとなりました。

「指導を受けていて辛いようだが、体調が良くないのか」
「いいえ、そんな事はありません。ただ、指導を受けているうちに悲しくなって来ただけです」

動きが間違っているので教えていた訳ですが、本人の話を聞くと「自分を否定されたと」捉えていた様子でした。そこで、私が「人格を否定しているのではなく、君が良くなる為に伝えているんだよ」と言ってはじめて、その生徒の表情が晴れました。これには驚きました。

ちなみに、この生徒は女性ではなく男性です。

どうして、このような捉え方をするのか知りたかったので、どのような環境で育って来たのか尋ねてみました。

この生徒は三人兄弟の末っ子で、それは大事に育てられて来ました。親御さんから叱られた記憶はほとんどないそうです。学校で何かあって、先生から親御さんの呼び出しがあったときも、先生から事情を聞く前に「この子は悪くありません」と庇ってくれたそうです。

友人も親御さんと同様で、間違いを指摘されたことはほとんどないそうで、そもそも自分のことを指摘する人とは付き合わないそうです。

こういった環境が、指摘をされても全く受け入れようとしない「自分が傷つかない内向きの世界」を形成して来たことが良く分かりました。

その後、この生徒は就職活動をすることになるのですが、ちょうど就職氷河期に入った事で、なかなか採用が決まりません。誰でも不採用になれば良い氣持ちはしませんが、この生徒の場合、異常なほど落ち込みます。何社か不採用になり就職活動を止めてしまいました。

採用されなかったことで、全人格を否定されたように感じたのでしょう。その後、その生徒は稽古も止めてしまいましたので、現在どうしているかは分かりません。

先日、親交のある大学教授から聞いた話です。

教授の研究室で大学院生に論文の不足を指摘したところ、「教授に人格を否定された」と研究室に来なくなったそうです。

教授の話によれば、「これでは論文とは言えない」と論文の内容を指摘しただけなので、それがなぜ人格否定になるのか分からない、と言っていました。相手は大学院生ですから、私も同じように思います。

勿論、指摘する側が重要であるのは言うまでもありません。相手の間違いを指摘するには、相手との信頼関係がなければ相手は受け入れません。しかし、指摘を受け入れられない心の弱さは別問題です。

道場に来るような人には比較的少ないのですが、道場の外で見回してみると、指摘を受けると心を閉ざす人が多くいます。相手との関係を自分から絶ってしまったり、攻撃的になって相手のことを悪く言ってみたり、切れてしまったりします。

子供から嫌われないよう間違いを指摘できない親。
生徒から嫌われないよう間違いを指摘できない先生。
部下から嫌われないよう間違いを指摘できない上司。

現代の日本には、自分にとって心地よいことだけを言う人が良い人だと見る風潮があります。現代の日本が抱える大きな課題です。海外で学ぶ日本人学生の評価は落ちていく一方ですが、こういったことに、問題の本質があるのではないかと私は思います。

だからこそ、指摘を受け入れる訓練、心を強くする訓練が必要です。武道が日本社会に果たす役割の一つではないかと考えています。

|

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »