当たり前の事を当たり前にする
「雑宝蔵経」に説かれる「無財の七施」という教えがあります。これは財産も名誉も地位もない方でも、施しの心さえあれば、七つの施しが出来るという仏教の有名な教えです。
- 眼施 ・・・ 心から温かい眼差しを送る
- 和顔悦色施 ・・・ 心から温かい笑顔を送る
- 言辞施 ・・・ 心から感謝の言葉をかける
- 身施 ・・・ 心をこめて身体を使って奉仕をする
- 心施 ・・・ 心から共に喜び、共に悲しむ
- 牀座施 ・・・ 自分の席を譲る
- 房舎施 ・・・ 風や雨露をしのぐ所を提供する
サラッと読むと、どれも簡単に出来ることにも思えるのですが、いつでも、どこでも実践するのは並大抵のことではありません。
全日本競技大会の後、沢井 柚希先生から「無財の七施」について、ゆっくりお話を伺う機会があり、多くの氣づきを頂きました。
会員の皆さまや私たちは、いつでも積極的な心と身体を保つこと、つまり、氣が出ている状態を保つことを心がけています。しかし、時に自分でも氣がつかないうちに氣が引っ込んでしまい、その事実にすら氣が付かないことがあります。氣が出ていない時は、どんな事にも氣づくことが出来ないからです。
「心が身体を動かす」のですから、私たちの心の状態は、身体の状態に何らかの形で表れています。そこで、沢井先生はこの「無財の七施」を出来ているかチェックし、氣が出ているかどうかのチェックをされていることを知りました。「無財の七施」は、藤平 光一先生から教えて頂いていましたが、それを自分に当てはめてチェックをすることはありませんでした。
・・・・・なるほど。私は昨日、スタッフの心のない仕事に腹を立てて、思わず眉間にシワをよせて怒ってしまいました。久しぶりとは言え、氣のことをお伝えする身として未熟でした。
さて、これは「無財の七施」で言えば何に反するのでしょうか。「眼施」もそうですね。「和顔悦色施」も「言辞施」もそうですね。こういう状態では「氣が出ていない」ことが分かります。それが分かりさえすれば、自分であらためることが出来ます。
お身体の不自由な方やご年配の方が電車に乗って来られても、「譲るべき」と思っても、行動に移せない方がいらっしゃいます。そういう時は、「氣が出ていない」時であり、姿勢も崩れていて、心身不統一な状態になっている時です。今日、私はご年配の方に積極的に席を譲ることが出来たので、氣が出ていること間違いなしという訳ですね(笑)。
藤平 光一先生はいつも「当たり前のことを当たり前にしなさい」とご指導下さいます。「房舎施」こそ、今は当たり前と感じる方は少ないかもしれませんが、その他の施しは当たり前に感じる方が多いのではないでしょうか。
昨今では、コミュニケーションの技術に関する本が多くありますが、まず、当たり前のことを当たり前に行うことが基本に思います。私も「無財の七施」を基準に自分の心をチェックしていきます。
皆さんもご一緒にチェックしてみませんか。
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