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2005年6月の5件の記事

2005/06/23

自分と相手を相対的にとらえず一体となり動く

私はいま、ラスベガスで全米講習会の指導をしています。参加者の真剣に学ばれる姿勢に私も大変刺激を受けております。

さて、心身統一合氣道を学ぶ上で理解をすべき重要な原理原則に、「自分と相手を相対的にとらえず一体となり動く」があります。

私たちは多くの場合、「自分」と「相手」を相対的に認識しています。それ自体は必要なことであって、決して悪いことではありませんが、相対的な見方だけにとらわれてしまうと不具合が生じます。

相手を動かす際に、「自分」と「相手」を相対的に分けて考えていると、「自分が相手を押す」動作になります。相手は押されると反発する心が生じて、動かすのは難しくなります。

一方で、「自分」と「相手」ではなく「自分と相手が一体」と考えると、「一緒に動く」動作になります。一緒に動けば相手には反発する心は生じないので楽に導けます。

一例を挙げましょう。

介護や看護の現場では、ケアする人が患者の身体を動かすことがあります。その際に「相手を動かそう」とすると、動かす動作に無理な力が入って、患者の心には反発が生じます。動かすのは重労働になって、ケアする方にとって大きな負担になります。ケアを受ける人も氣持ち良くありません。

一方で「一緒に動こう」とすると、動かす動作で余分な力が入らず、患者の心には反発は生じません。そうすることで、ケアする人の動作は驚くほど楽になります。そもそも、ケアを受ける人も氣持ち良くケアを受けられます。

つまり、自分の心の質によって自分の動作の質も変わります。これを日常生活に応用すると「人の導き方」に繋がります。

これも一例を挙げましょう。

後片付けをしないお子さんに、「後片付けしなさい」と言いますね。しかし、親御さんが全く後片付けをする氣がなくて、子供だけにさせようとすると、子供の心には反発が生まれます。一方で「一緒に片付けようね」と、まず親御さんが動く氣になると、子供の心には反発を生じずに、子供にも動く氣が起きてきます。この「一緒にしよう」という心の使い方が極めて重要なのです。(ちなみに、今回の全米講習会のテーマでもあります)

多くの方が間違いやすいことなのですが、「一緒に動く」とは、「相手に合わせる」ことではありません。私たちは一人一人違う心・違う考え方・違う立場を持っています。それに全て合わせることは出来ません。無理して合わせたとしても、それは単なる八方美人ですね。

重要なことは、自分自身が天地自然の原理原則にしたがって、その上で「一緒に動く」ことが重要です。したがって、いくら「一緒に動こう」と心を使ったとしても、自分が天地自然の原理原則に合わない姿勢をしていては、相手を導くことは出来ません。

「人と一体になる」のではなく「天地と一体になる」ことです。

言葉でお伝えするには限界がありますので、初めての方は、ぜひ心身統一合氣道の講習会にお越し頂きたいと思います。

心身統一合氣道を通して、天地自然の原理原則を学ぶことで、私たちは視点の転換が起こります。日常生活で悩んでいたことが、稽古をして氣づきを得るうちに、見方が変わって解決してしまうことが良くあります。ご一緒に学んで参りましょう。

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2005/06/16

相手ではなく、まず自分をコントロールする

相手をコントロールするのではなく、自分の心と身体をコントロールする」、これは、心身統一合氣道を学ぶ上で重要な原理原則です。心身統一合氣道では、相手を動かしたり投げたりすることを考える前に、まず、自分の心と身体をコントロールします。

なぜでしょうか。

相手を導くのに、自分の姿勢が崩れてしまっては出来ないからです。姿勢と言っても、フィジカルな意味だけの姿勢ではありません。心の状態が安定してはじめて、身体の状態も安定をします。したがって、安定した姿勢を保つには自分のコントロールが必要です。

理屈は分かっていても、始めは相手を動かすことで精一杯になってしまい、自分の心と身体のコントロールを忘れている方がほとんどです。稽古を続けることによって、次第にコントロール出来るようになってきます。

心身統一合氣道の稽古によって「人を動かす」ことで視点が変わります。私には現在でも「相手を先に動かそう」という心が生じることがあります。しかし、原理原則を知っているので、その度に改めることが出来ます。私にとって心身統一合氣道の稽古は、心の状態の定期チェックとして、とても重要なのです。

日常生活では「相手を変える前にまず自分が変わる」ことです。

相手の姿は見ることは出来ますが、自分の姿を直接見ることは出来ません。自分の姿を知るには鏡に姿を映すか、誰かに教えてもらう必要があります。したがって、よほど氣をつけていないと、自分のことを棚に上げてしまって、相手のことだけにこだわりやすいのです。

一例を挙げましょう。

相手が自分に対してマイナスな表情、マイナスな態度で接したとしましょう。私たちは「なぜ、あの人はあんなにマイナスなのか」と考えがちなのですが、実は、相手に対する自分の表情や態度がマイナスなことがあります。相手をプラスに変えたいのであれば、まず自分がプラスになることです。

相手が自分の話を聞いてくれないときも、同じことが言えます。私たちは「なぜ、あの人はあんなに話を聞かないのか」と考えがちですが、実は日頃、自分が相手の話を聞いていないことがあります。相手に話を聞いて欲しければ、まず自分が相手の話を聞くことです。

私たちは、問題の原因を自分の中にではなく外に求める傾向があります。言い換えれば、「自分は悪くない」という考えです。上述の例で言えば、「マイナスな表情・態度を取った相手が悪い」とか、「話を聞かない相手が悪い」などですね。それは、そもそも自分の姿を直接自分の目で見ることが出来ないこと、身体の状態と違って心の状態には形がないことに原因があります。

しかし、心身統一合氣道の稽古で具体的に様々な技を学ぶことより、「自分を先に変える」という視点の転換が起こります。藤平 光一先生は、道場だけで通用する技は役に立たないと言われます。心身統一合氣道を通して得たことを、危険回避に活かすのは勿論のこと、生き方そのものに活かしてはじめて意味があるということです。

ご一緒に学んで参りましょう。

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2005/06/09

心が身体を動かす

心身統一合氣道を正しく学ぶ上で、最も重要な原理の一つが、「心が身体(からだ)を動かす」(氣の原理)です。

合氣道では相手の身体を投げます。そのため、合氣道を学ぶ多くの方が、目に見える身体のみを考え、目に見えない心の存在を忘れがちです。心の存在を忘れてしまっては、心身統一合氣道は出来ません。身体は見たり触れたりすることで、その存在を確かめられますが、心は色も形もないので、あるのは分かっていても忘れがちです。

誰でも「人を自分の思い通りに動かしたい」という欲求があります。その心のままに、合氣道で無理に相手の身体を投げようとすれば、相手の心は抵抗して、そこには必ず反発する力が生じます。相手の心を無視しては、投げるどころか動かすことも出来ません。

「心が身体を動かす」(氣の原理)に基づいて合氣道の技を行えば、相手の身体を投げることを考える前に、相手の心の状態を知って、その心を尊重して導くことを考えなければいけません。相手は望むことであれば抵抗はしませんし、反発も生じません。

心身統一合氣道の技を正しく行うと、「投げて喜び、投げられて喜び」、投げる方も投げられる方もプラスの感情だけが残ります。

心身統一合氣道を通して体得したことは、そのまま日常生活で活用することが出来ます。心身統一合氣道の稽古が深まってくると、「身体」を中心とした視点から、「心」を中心とした視点に転換します。そうすると、挨拶をするとき、言葉をかけるとき、お辞儀をするときなど、日常で自分がいかに形(身体)だけの行動が多いか氣づかされます。

人を育てる上においても、相手の行動を変えることを考えるのではなく、その行動を起こす相手の心の状態を変えることを考えられます。

問題解決においても、問題が生じた結果だけを論じるのではなく、問題が起こす元になった心の状態を考えるようになります。

この視点の転換が極めて重要で、ひとたび視点の転換があると、自分自身のこと、自分と他人との関わりで多くの氣づきを得られます。自分の姿勢や動作、コミュニケーションが劇的に変化します。

心身統一合氣道を通して「心が身体を動かす」(氣の原理)を理解し、日常生活で氣の原理を活用することが大切です。1953年に藤平光一先生が初めて海外に合氣道を普及し始めてから、多くの海外のお弟子さんは、視点の転換を求めて入門をしました。だからこそ、50年以上も継続して学んでいる方が多くいらっしゃるのです。

私も日々、氣づきの連続です。

「心が身体を動かす」ことを別の角度から見てみましょう。

「身体が心を動かす」という考え方も出来ます。もしそうであれば、心は常に外界からの刺激によって支配され、心は一瞬たりとも落ち着く暇はありません。もうすぐ夏ですが、蒸し暑いとイライラするのは最たる例です。忙しくなるとイライラして、周囲への心配りが欠けてしまうのも、身体の感じる刺激に自分の心が支配されている例です。

「心が身体を動かす」という考え方を持って生活を送るのと、「身体が心を動かす」という考え方を持って生活を送るのでは、生じる感情、生じる行動、生じる結果が全て変わってきます。皆さんはどちらを選択されますか。

今回のテーマの実例を、近日私のブログでご紹介しますね。

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2005/06/05

各大学新入生歓迎合同講習会 指導

6/4(土)~5(日)に氣の郷にて各大学新入生歓迎合同講習会がありました。私が初日の指導をさせて頂きました。

国際基督教大学・慶應義塾大学・首都大学東京・筑波大学・東京工業大学・日本大学・早稲田大学の各大学から主に新入生が参加しました。

最初の講義では、心身統一合氣道を学ぶ上で最も重要な三つの考え方を指導しました。

  1. 心が身体(からだ)を動かす
  2. 相手をコントロールするのではなく自分をコントロールする
  3. 自分と相手を相対的にとらえず一体となって動く

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その後の心身統一合氣道の稽古では、横面打ち四方投げを通して今度は実際の動作で確認をしました。また、突然相手が打ってきてもにも動ずることなく、氣持ちを前に向けたままで後ろに下がることを徹底的に稽古しました。最後には全ての学生が下がる動作によって姿勢を崩さなくなりました。

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ビジネスでも同じことですが、前に進むよりも後ろに下がる方がずっと難しいものです。後退するときほど、氣持ちを前向きに、つまり氣を出すことが必要です。こういった動作を通して、学生の皆さんには社会に出てから自分の生き方に活用できるように、心身統一合氣道の技をお伝えしています。

夜は懇親会・・・。各大学の新入生が互いに打ち解けたようで何よりでした(笑)。

この三つの考え方については極めて重要なテーマですので、今週の木曜日から三週に渡ってこのブログでお伝えしたいと思います。

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2005/06/02

感情のコントロール

感情のコントロールについて、多くの方からご質問を頂きます。「感情的(怒った時・落ち込んだ時・緊張した時など)になった時、なかなか心を静めることが出来ない」という質問です。

それも感情のコントロールとして大切なことではあるのですが、実は、感情的になってから心を静めるのでは遅すぎるのです。言ってみれば、それは「応急処置」に過ぎません。天地自然をどの様にとらえるかによって、生じる感情は違います。そもそも、感情的な心の状態を生じないとらえ方をすることが、本当の意味での感情のコントロールです。

私たちは常に五感(六感)を通して、天地自然を知覚しています。したがって、天地自然のとらえ方は私たち一人一人で違う訳です。

天地自然をプラスにとらえる人も、マイナスにとらえる人もいます。どちらが正しく、どちらが間違っているとは言えません。しかし、プラスにとらえることによって結果もプラスになるのですから、マイナスにとらえて、結果だけプラスを求めるのは間違っています。こうしてお伝えすると「当たり前のことだ」とお感じになるかもしれませんが、実生活で私たちはこの不合理を氣づかずに行っています。

川の流れで言えば、上流にある「物事のとらえ方」を変えることで、下流にある「感情」のコントロールが出来ます。下流を綺麗にするためには、上流を綺麗にする必要があるのです。

一例を挙げましょう。病氣や怪我をしたとします。多くの方は「何で自分ばかりこんな目に遭うのか」とか「不運だ」など、病氣や怪我に対してマイナスな感情を持ってしまいます。マイナスな感情を持っているときは、「氣が出ていない」状態であり、病氣や怪我を通して得るのは不満だけで氣づきはありません。

一方で病氣や怪我のとらえ方が違うと、生じる感情も違ってきます。病氣や怪我を「自分に何かを教えてくれている」ととらえていると、病氣や怪我を通して健康時には得られない多くの氣づきを得ます。

ある方は、忙しさのあまり家族へ氣を向けていない事実に氣づき、家族にしっかり氣を向けるようになるでしょう。

ある方は、健康があってこその仕事であることに氣づき、日常生活での優先順位を見直すでしょう。

ある方は、氣の呼吸法や氣圧法に本氣になって取り組むことで、他の何事にも代えられない実体験を得るでしょう。

病氣や怪我そのものは、決してプラスな出来事では言えませんが、そのとらえ方によっては、プラスの氣づきが得られるのです。そこには不満どころか、氣づきに対する感謝の心が生じます。

腹が立ったり、落ち込んだり、緊張をしたりした時は、その感情をコントロールすることも大切な試みではあるのですが、感情的になった自分の「物事のとらえ方」を振り返ってみましょう。そのとらえ方が、プラスで氣が出ているかどうか確認をしましょう。もし、マイナスであればプラスに転換する努力をしましょう。それには、先人の残した優れたとらえ方が道しるべとなります。氣の学びの中にも、多くのプラスのとらえ方があります。

氣の呼吸法は、生じた感情のコントロールにも効果がありますが、日頃から行うことで、プラスなとらえ方そのものが身に付きます。それこそ、氣の呼吸法の真価と言えます。

最後に、とても多い勘違いについて補足をさせて頂きます。「天地自然をプラスにとらえる」ということは、「自分の都合の良いようにとらえる」ことではありません。自分にだけしか通用しないプラスは、正しいプラスではありません。自他ともにプラスになるとらえ方こそ正しいプラスです。

ご一緒に、本当の意味でのプラスなとらえ方を身に付けましょう。

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