氣が出ている
氣に関するワークショップや講演会、心身統一合氣道の指導などで、私は年間で300日以上、氣をお伝えする機会があります。
何年か前までは参加者の反応の大きいときと小さいときがありました。勿論、多少の違いがあるのは当然ですが、それが極端だったのです。その違いについて、はじめ私は参加者の問題だと考えていました。反応が大きいかどうかは参加者の求める姿勢に因ると思っていました。しかし、それは大きな間違いでした。
何年か前の話ですが、大規模なワークショップで指導する機会を頂き、5日間の日程でお伝えしたことがあります。
当時の私は実力が全く至っておらず(今も発展途上ではありますが)、参加者の皆さまに満足頂けるようなレベルではありませんでした。しかし、機会を頂いた以上、参加者の皆さまが喜ばれることだけを考え、「余力は絶対に残さない」と、とにかく必死で指導させて頂きました。
すると結果は、割れんばかりの拍手を頂いて大盛況に終わりました。「この時間が終わってしまうのが残念」という声があちらこちらから聞こえました。
無事に初日を終えてホッとした訳ですが、多少なりとも成功体験を得て、二日目を迎えました。(参加者の顔ぶれは二日目も同じです)初日よりは精神的にゆとりがありましたので、一日がスムーズでした。ところが、初日と打って変わって良い反応がほとんどありませんでした。ショックを受けた私は、また初日のような精神状態に戻ってしまって、とにかく「余力を残さない」ことだけ考えて、全力でお伝えしました。すると、3日目は初日と同じような大きな反応を頂きました。
「・・・・・これには何か法則があるぞ」。そこで、私の中に大きな氣づきがありました。
お伝えする際に「人の心を動かす」のは、唯一「人の心」だけです。誰もが唸るような技術を身に付けることも重要ではあるのですが、最も重要なのは、「いつでも全力で事に臨むこと」だったのです。その状態こそ、藤平光一先生が言われる「氣が出ている」状態です。思い返せば、2日目の私の心の状態には安心と油断がありました。それに氣づいた後、残りの日程は盛況に終えることが出来ました。
藤平光一先生はこの様に言われます。「技が至るのを上手と言い、心が至るのを名人と言う」。どんなに高い技術があっても、心の使い方がいい加減であっては、名人とは呼ばれない訳です。
それ以来、私は指導させて頂く前にまず氣の呼吸法で心をしずめ、いつでも同じ心の状態でお伝えするように心がけています。いつでも全力、つまり「氣が出ている状態」かをチェックしています。
お伝えすることは、舞台で演じることと同じだと私は感じています。演じ手の心が伝わってきたとき、観客の心に感動が生まれます。技術や形が素晴らしいだけでは、感動は決して生まれません。心からお伝えすることによって、はじめて相手に伝わっていきます。その結果、氣が通い合って一体感が生まれます。
多くの場合、毎日の挨拶ですら同じ心の状態では行っていません。ともすると、いい加減な挨拶になりやすいものです。一つのことを行うのに、いつも同じ心の状態で行っているかどうか、全力で行っているかどうか、チェックすることが極めて重要なのです。
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