「ありがとう」の質
1/27のブログ記事で「ありがとう」という言葉に触れました。その後、同じ「ありがとう」でも違いがあるのではないかと、多くの方からご意見とご質問を頂きました。また、本当に氣が通っているときは「ありがとう」だけではなく、その後の言葉が自然に続くのでは、というご意見も頂きました。
もう少し掘り下げていきたいと思います。
心と身体はもともと一つのものです。これを「心身一如 “Oneness of Mind and Body” 」と言います。しかし、「心」と「身体」という別々の言葉で教育を受けるため、私たちは心と身体を別々に認識しています。「身体」は目に見えて触れることが出来るので忘れませんが、「心」は色も匂いも形もないために忘れがちです。
「心と身体を一緒に使う」のは当たり前のことなのですが、心をはっきり用いることが疎かになり身体だけを使っています。当たり前のことが当たり前に出来ていないことが多いのです。これを「心身分離 “Separation of Mind and Body”」と言います。私たちは仕事を含めて日常生活の中で、氣が付かないうちに、この心身分離の状態に陥っています。
例えば、心では「やりたくない」「面倒くさい」と思いながら、身体を使うことはありませんか。
これは心身分離の一例で、そういうときは疲れやすいですね。好きなことをする時は、自然に心が目標に向いているので、同じ様に身体を使っても、疲れを感じることはありません。これは心身一如の一例です。普段は朝寝坊でも、ゴルフや釣りのときは早起きします(笑)。何が違うかと言えば、心の使い方に尽きますね。心の使い方によって、身体は大きな影響を受けているのです。
さて、「ありがとう」にも実は質(Quality)があります。
心も身体もきちんと相手に向けて発する「ありがとう」と、心を十分に相手に向けずに発する「ありがとう」があります。心を十分に向けていないとき、形だけの「ありがとう」です。心が向いているときは、自然とその後の言葉も続きます。同じ「ありがとう」という言葉使っていても氣持ちの伝わる方と、そうでない方がいらっしゃいますね。それは、「心身一如」と「心身分離」の違いなのです。
実は心身一如と心身分離を簡単に確かめる方法があります。それが藤平光一先生がつくられた「氣のテスト」です。「氣のテスト」については、また別の機会にお伝えいたします。
日常生活の様々な動作やコミュニケーションにおいて、「心身一如」か「心身分離」に基づいて見直してみると、多くの氣付きが生まれることでしょう。
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