2023/09/01

心身統一道とは

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心身統一合氣道とは、「心身統一道」を土台とした合氣道です。

心身統一道は、人間が本来持っている力を最大限に発揮するために、心と身体を磨くことを目的としています。

スポーツ・芸術・ビジネスなど、様々な分野で私は指導していますが、その皆さんに、心身統一合氣道の技を教えているのではありません。心身統一合氣道の根幹である「心身統一道」をお伝えしています。

K-1スーパーライト級現チャンピオンの大和哲也選手もその一人です。合氣道の技がそのまま格闘技で活きるというよりも、大事な場面でしっかり力を発揮できるように、大和選手は鍛錬をしています。

どの分野においても、持っている力を発揮できることが最重要です。どれだけ能力が高くても、技術を持っていても、いざというときに、力を発揮できなければ意味がありません。

そのため、多くの人が心身統一道を求め、日々、稽古をしています。

心身統一とは「天地と一体である(氣が出ている)」ことを指します(心と体が一つであることは「心身統一」ではなく、「心身一如」と言います)。

心身統一した状態を「統一体(とういつたい)」と言います。統一体で物事を行うことにより、持っている力を発揮できます(統一体の詳細に関してはは過去の記事をご参照ください)。

心身統一道では、様々ことを学びます。

統一体による呼吸が「氣の呼吸法」
統一体による瞑想が「氣の意志法」
統一体で行う運動が「氣の体操法」
統一体で行う手当てが「氣圧法」

特別なメソッドとして理解されやすいのですが、そうではありません。

氣の呼吸法を例に説明すれば、狭義における「氣の呼吸法」はやり方を指すことがありますが、広義における「氣の呼吸法」とは、統一体で行う呼吸全般を指します。

統一体で行えば、普段の呼吸も、発声の呼吸も、すべて氣の呼吸法なのです。つまり、統一体であることが重要で、人間が本来持っている力が発揮できれば、いつでも誰でも出来るものです。

そもそも「氣の呼吸法」は、統一体で心地良く呼吸するだけなのです。藤平光一先生は広義を教えましたが、それを狭義で捉えてしまうと本当のところが会得できなくなります。

先月には「夏のオンライン特別講座(心身統一道 集中特訓)」を実施して、本来の(広義における)心身統一道をお伝えしました。


心身統一道の稽古の特徴の一つは、年齢やジェンダーに関係なく、どなたにもできることです。

学生の頃に心身統一合氣道を一生懸命に稽古し、社会人になったり、家庭を持ったりして忙しくなると、稽古を続けるのは難しいようです。

しかし、何かのきっかけで思い出して、再び稽古を始めたいという人が、年々増えて来ています。

お子さんと一緒に始めたり、仕事を引退してから再開をしたり、理由も環境もそれぞれですが、皆さん、活き活きと活動なさっています。

稽古を再開した感想をお尋ねすると、学生の頃はとにかく合氣道の稽古に励み、心身統一道の意義を深く考える機会がなく、人生経験を積んで「氣を出す」ことがいかに重要か理解した、と言われます。

人生には色々なことがあります。ときに、逆境に直面することもあります。そんなときこそ、道場の稽古で身につけた「氣を出す」ことが役立ち、また稽古をしてみたい、という思いにさせるのかもしれません。

中には、セカンドキャリアで指導者を目指して学び始める人もいます。会社を退職し、時間が出来たら教室を開くことを目指しています。

心身統一道の活動は年齢には全く関係がありませんので、人生100年時代に、生涯にわたって人や社会に役立つことができます。

202310月から、心身統一合氣道会の本部道場(東京)において、「心身統一道」に特化した新しいクラスを実施いたします。

合氣道の稽古は無理、と諦めている皆さんにも心からお薦めします。この機会に、ぜひ心身統一合氣道会で稽古を始めてみませんか。

すでに稽古をされているいる会員の皆さんで心身統一道の理解をさらに深めたい方は、ゲスト参加の仕組みでぜひ参加されませんか。

お問い合わせは、心身統一合氣道会 本部事務局にて承ります。

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2023/08/01

「伝える」とは何か

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内弟子時代に鍛えられたことの一つが「伝える」ことです。

「伝える」とは何か。

ひと言で表現すれば、伝えるとは「伝わる」ことです。

いくら自分がしっかり伝えたつもりでも、相手に伝わっていなければ、伝えたことにはならない、という原則です。

当時は週に1回、栃木にある天心館道場(520畳の大道場)で藤平光一先生の稽古がありました。稽古の前半を内弟子が担当するのです。

自分が見ている元で指導をさせて、評価するのではなく、内弟子の指導自体は藤平光一先生は全く見ません。前半が終わる頃に来られて、生徒にこのように尋ねます。

「皆さん、前半の指導は理解できましたか?」

生徒さんも大人ですから、分からないところがあっても、「良く分かりました」と答えてくださいます。すると、藤平光一先生はさらにこのように言うのです。

「それは良かった。では、私の前でやってみせてください」

「分かる」ということは「できる」ということ。実際にできるようになっていなければ、分かったとは言えません。実際に生徒さんがやってみると、できていないことが多いのです。

すると、藤平光一先生は担当した内弟子に優しくこう諭します。

「これでは、伝えたことにはならないのだよ」

私自身も繰り返し挑戦をしましたが、丁寧に伝えているつもりが、実際は伝わっていない現実を目の当たりにして、驚愕しました。

「伝わる」という基準においては、私は伝えていなかったのです。

どうしたら伝わるかをトライアル&エラーで積み重ねていくうちに、私の指導は次第に「伝わる」ようになっていきました。そして、他の指導現場でも常に同じ姿勢で臨むようになりました。

この訓練のお陰で、現在の指導者としての基礎ができました。


藤平光一先生は、仕事や日常でも同じ姿勢が重要だと説きました。

例えば、上司が部下に仕事の指示をしたとします。上司が望む結果が得られないと、たいていの上司は部下を責めます。「ちゃんと伝えてあったでしょう?」と。

望む結果が得られないということは、指示が伝わっていないということ。「伝える側に原因がある」と捉えることが大事です。「伝わらない責任を相手に求めない」という姿勢です。

「どうしたら相手が正しく理解できるか」を工夫することによって、伝え方はどんどん磨かれていきます。

もう一つ重要なことは、相手の発している「氣」をみることです。

忙しくしていて上の空の返事をしていたり、思い込みがあったり、こちらが伝えたいことを相手が正しく理解できていないときには、理解していない氣を発しているものです。

それを正しくキャッチできれば、重要な情報は繰り返し伝えたり、相手に復唱を求めたり、何らかの対応ができるはずです。

お店においても、同じ訓練ができます。

こちらが注文したものと、異なるものが出て来てくることがあります。このとき、店員さんのミスを責めてはいけません。

相手が正しく理解していないときは、何らかのサインを発していたはず。それを見逃したことが伝わらない原因なのです。

正しく伝わる結果を伝え手の責任と置くことによって、正しく伝えるための工夫が生まれ、伝え方は確実に向上していきます。

ぜひご一緒に磨いてみませんか。

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2023/07/01

1ミリずつのズレ

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若手指導者の育成で、私は必ず「1ミリずつのズレ」の話をします。

いちどに1メートルくらいズレたら、誰でも氣がつくことでしょう。しかし、1ミリずつのズレを認識することは、とても難しいものです。

そして、氣づいたときには、取り返しのつかないズレになっています。

始めはしっかり守っていたことが、「まあ、このくらいは」と妥協し、一つの妥協が次の妥協に繋がって、いつの間にか妥協が当たり前になる。

私自身を振り返ると、内弟子時代の清掃がそうでした。

当初は隅々まで丁寧に掃除していましたが、あるとき時間がなかったことから、「まあ、このくらいでも良いか」と少しだけ手を抜きました。

すると、次も「このくらいで良いか」になり、許容範囲を自ら広げていき、氣がついたときには、ずさんな清掃をするようになっていました。

そんな私を見て、藤平光一先生は懇懇と「1ミリずつのズレ」の話をしました。後に、それが様々なことに根底で繋がっていることを学びました。


例をあげれば、「分かったという思い込み」があります。

人間はひとたび理解したと思い込むと、それ以上、学ばなくなります。すると思い込みに氣がつかず、それが小さなズレになります。

思い込みを持った状態で次のことに触れるので、ズレは大きくなって、それが積み重なることで、とんでもなく誤った理解になります。

このズレを防ぐ最良の方法は、毎回、確認をすることです。特に「自分が理解していると思うこと」にこそ、確認が必要なのです。

私自身は「理解できた」という状態は錯覚に似ていると考えています。

理解できることは「快」なので人はそこを求めますが、それはゴールでなく、スタートラインであることを忘れてはいけません。

私は指導者を育成する立場にあるので、私に生じる1ミリのズレは、多くの人に影響を与えることになります。

このズレを防ぐことが、私にとって大事な責任なのです。


別の例をあげれば、「指導者のマインド」があります。

始めは誰もが「自分などが指導者になって良いのだろうか」と考えて、「自分にできる精一杯のことをして役に立ちたい」と初心を持ちます。

それが、「先生」と呼ばれて、立てられるうちに偉くなってしまうのです。

そもそも心身統一合氣道における「道」とは上下関係ではありません。

同じ道を歩む者として、「先に歩みを進める者」は「これから歩みを進める者」を助けます。お互いが敬意をもって学び合う関係にあります。

それが1ミリずつズレて、いつの間にか上下関係と勘違いして、指導者は自分中心(優位)のマインドに陥ります。

この深刻なズレは、「学び続ける」ことによって防ぐことができます。

教える立場からいったん離れて、学ぶ立場に戻ることで、日頃の自分を客観的に振り返ることができます。また、他の指導者と交流することで氣がつくこともたくさんあります。

教える時間が増えると、学ぶ時間は相対的に少なくなるため、自分から意識して学ぶ環境を持たない限りは1ミリずつズレていき、教えるばかりで全く学ばない指導者になります。

藤平光一先生はこれを厳しく戒め、教える立場にある者こそ、誰よりも学ぶことが必須であることを説きました。

ゆえに、心身統一合氣道会の指導資格は一年ごとに更新する仕組みで、段位やキャリアに関係なく学び続ける者だけが維持できます。


「1ミリずつのズレ」は、個々の人間性や能力の問題ではなく、人は誰にでも共通して起こりうるものです。

私は心身統一合氣道会の会長であり、「会長」として扱われることで、何もしなければ、同じようにズレていきます。

内弟子時代を思い出して、私自身も日々確認し、学び続けています。

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2023/06/01

より広く、より深く

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2020年からNetflixで配信されている韓国ドラマ「愛の不時着」、すでにご覧になった方も多いことでしょう。

このドラマは韓国の国内のテレビチャンネルでも放送されましたが、世界に向けて発信する前提で制作されました。

そのため、国内の目先の視聴率や評価を過度に気にかけることなく、世界に通じる作品を目指し、時間と予算をかけて作られたそうです。

異なる言葉や文化で通じるものこそ真のエンターテインメントであり、世界190カ国に配信されて人気を得ていることが、その実証です。

この制作スタジオでは、世界に向けてドラマを制作し続けています。


心身統一合氣道においても、言葉・文化・宗教を超えて伝わってこそ、真の内容だと捉えています。

限られた対象者だけに伝えて、理解されることを目指すのだとしたら、決して最高のものにはなりません。

この視点で、常に私は自身の指導内容や技能を磨いています。

先日は、アメリカのミシガン大学のMBAコースの学生に指導しました(ブログ記事はこちら)。

私が師範を務める慶應義塾體育會合氣道部の卒業生が同校に進学し、同級生を母国に案内するプログラムを担うことになりました。

卒業生たっての希望で、この一環で私が指導することになりました。

当然のことながら、「合氣道」を知らない学生が多くいるわけです。合氣道で用いる固有名詞は全く通じませんし、そもそも英語での指導です。本質的な内容でなければ伝わりません。

勿論、日本文化に触れるというだけでも一定の価値はあるのですが、学生たちが腹落ちするように伝わるかで指導の真価が問われます。

共通するのは、「体験」こそ、最も伝わる手段であることです。

講習では「自然な姿勢(統一体)」「臍下の一点」「日常生活の動作への活用」を、直に相手して一人一人に体験して頂きました。

学生たちは驚きの声をあげ、その高い理解力に私も驚きました。

臍下の一点に心が静まっている状態から生じる動作はぶつからない。

ビジネスにおいて、特に、リーダーシップやコミュニケーションで、「心を静める」ことが重要であることを瞬時に理解していました。

プログラムが総て無事に終わった後に、面白い話を耳にしました。講習の翌日、観光で行った屋形船の中で腕相撲大会をしたそうです。

優勝した学生は、相手を負かすというマインドではパフォーマンスを発揮できないので、心を静め相手を理解することを徹底しました。

学んだことをすぐに活かしていて、しっかり伝わったようです。今回の経験がどのように学業や仕事で活かされるのか楽しみです。


同じ環境、同じ対象者に伝えるだけでは、指導技能は磨かれません。

「変わらない」ことは楽ではあるのですが、向上しないのです。ゆえに私は、自ら求めて異なる環境や対象者に伝えることをしています。

  • 言語・文化・宗教の異なる人に伝わるか。
  • お子さんに伝わるか。ご年配の方に伝わるか。
  • 障害をお持ちの人に伝わるか。
  • アスリートに伝わるか。アーティストに伝わるか。
  • 企業・団体といった集団に伝わるか。
  • 書籍で伝わるか。文字で伝わるか。
  • テレビで伝わるか。ラジオで伝わるか。

普遍性と再現性をもって、より広く、より深く伝わるのが真の内容です。

今後もあらゆる挑戦を続けていきたいと思います。

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2023/05/01

統一体とは

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このコラムは、心身統一合氣道を稽古していない方もお読みなので、できる限り、専門用語を使わずに表現するようにしています。

今回は逆に、もっとも重要な専門用語を解説したいと思います。


心身統一合氣道の「心身統一」とは何か。

「天地自然と一体であること(=氣が出ていること)」を指します。

心身統一合氣道の創始者の藤平光一先生は、初めて学ぶ方に「氣」を説くときに、「海の中で水を手で囲うようなもの」と説明しました。

自分の手の中にある水ですから、「私の水」と言えるかもしれません。しかし、そこは海の中。大海の水を囲っているに過ぎません。

そして、手の内側の水と外側の水が常に行き来をしていれば、その水が悪くなることはありません。何らかの理由で行き来が妨げられると、その水は悪くなります。

「氣」も同じで、天地自然の「氣」を自分が囲っているに過ぎません。

内側と外側で常に氣の行き来があることを「氣が出ている」といい、その氣が悪くなることはありません。何らかの理由で行き来が妨げられると、その氣は悪くなります。

私たちは天地自然の一部の存在ですが、その繋がりを忘れると、「孤」の存在になり、氣の行き来が滞ってしまうのです。氣が滞ることで、心身や周囲との関係などで様々な不調が表れます。

氣の行き来が活発な状態が「元氣」、停滞した状態が「病氣」です。

氣の働きを理解すると、氣が出ている状態を維持できるようになります。その一つが「氣を出せば、新たな氣が入って来る」ことです。

「出せば入って来る」のは自然界の法則で、呼吸もまた同じです。息は出せば入ってきますが、先に入れようとすると停滞します。

「氣を出す」ことが重要で、心身統一合氣道の稽古の目的なのです。


稽古では、「統一体(とういつたい)」という言葉もよく用います。

統一体とは「心身統一した状態(=氣が出ている状態)」です。

統一体の「体(たい)」は、文字通りに身体を意味するだけでなく、「名は体を表す」の表現のように、事物の本質を意味しています。

つまり、統一体とは「天地自然と一体である本来の状態」です。特別な状態ではなく、本来の状態ということです。

したがって、稽古で初めて統一体を体験すると、多くの人が、人間が本来持っている力を実感して驚きます。「自分には、これだけの力があったのか」と氣がつくのです。

統一体は、ありとあらゆる動きの土台になるため、実に多種多様な皆さんが、それぞれの分野で活用しています。

統一体かどうかを確かめるためには、幾つか目安があります。

一つは「バランスが取れている」こと。

自然な姿勢には、自然な安定があります。本来のバランスを確認することで、統一体かどうか分かります。

一つは「瞬時に動ける」こと。

自然な姿勢であれば、瞬時に動くことができます。すぐ反応できるか確認することで、統一体かどうか分かります。

一つは「パワーを発揮できる」こと。

自然な姿勢であれば、無理なくパワーを発揮できます。身体に負担が生じていないかで、統一体かどうか分かります。

いずれかが備わっていない場合、例えば、バランスは取れていても、すぐに動けないようなときは、統一体とは言えない、ということです。

最も重要なことは、身体の状態だけではなく、心の状態も整ってはじめて得られることです。

心身統一合氣道を日々稽古している皆さんは、統一体を磨いて、それぞれの分野で存分に活用して頂きたいと思います。

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2023/04/01

氣圧法とは

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「氣圧法」は、心身統一合氣道に基づいた健康法です。

昔から「手当て」という言葉があるように、どこか身体の調子が悪いときは、自然にそこに手が行きますね。

手を置いているだけで痛みが軽減したり、気分が良くなったりします。

これと同じで、氣圧法で「氣が出ている」状態で手で触れることにより、痛いところは軽減し、固いところは柔らかくなります。

リラックスすることで血流が良くなり、回復力が働くのです。

ちょっとした不調のうちに手当てをすると、すぐに回復しますが、症状が重くなってからでは、それだけ多くの時間がかかります。

氣圧法は特別な人だけではなく、誰でもできる身近なものです。ご自身にも、ご家族にも健康維持において大きな助けになります。


氣圧法での触れ方は、心身統一合氣道での触れ方と同じです。

例えば、相手の手を持つとしましょう。ギュッと握ると氣は滞り、ただ軽く持つと氣が緩みます。相手の全身に氣が通うように持つことが大切です。これを「氣で持つ」と言います。

相手にとって心地良く感じるような持ち方をするだけです。言い換えれば、相手が「氣が出る」ように持てば良いだけです。

氣で持つとき、技においては相手を導き投げることができ、氣圧法においては相手の復調を手助けすることができ、原理は同じなのです。

人は触れられた瞬間に無意識の抵抗が生まれやすく、「動かそう」「コントロールしよう」という目的で触れられるときに顕著に表れます。

この無意識の抵抗が、技でいえば「ぶつかる」感覚で、氣圧法でいえば心地悪さとして表れます。どちらも上手くいかない、ということです。

技でぶつかりやすい人は、氣圧法を学ぶことでぶつからなくなり、短期間で上達することがよくあります。

実際に、心身統一合氣道を学ぶ多くの人が氣圧法を学んでいます。


Kiフォーラムに登壇頂いた順天堂大学の谷川武教授(医学博士)は、公衆衛生の観点で、氣圧法に注目をなさっています。

この4月から本部道場の指導者2名が順天堂大学の博士課程に進学し、社会人研究者として氣圧法と氣のトレーニングの研究を進めます。

アメリカにある心身統一合氣道会の支部であるOregon Ki Societyでは、医師と連携して氣圧法(KIATSU)の臨床研究を進めています。

一昨年、医学雑誌に学術論文が掲載されました。雑誌にはインパクトファクター(IF)という格付けとなる数値があり、IFが3点以上ある信頼性の高い雑誌に掲載されました。

英語の論文ですが、下記でご覧になることができます。

"Beneficial Effects of Kiatsu with Ki Training on Episodic Migraine"

片頭痛は世界的に有病率の高い神経疾患で、薬物療法には副作用が伴い、既存の代替医療にも費用が高額であったり、利用可能なクリニックが限られていたりする等の点で限界があります。

氣圧法が片頭痛に悩む女性に持続的な効用をもたらし、片頭痛の頻度を有意に減少させ、QoL(Quality of Life)スコアを改善して、薬の使用を減少させる有望なアプローチであることが明らかになりました。

氣圧法と共に氣のトレーニング(臍下の一点など)を組み合わせることで、効果を上げているのが特筆すべき点です。

心身統一合氣道会では、これからも様々なアプローチで氣圧法の研究と普及に取り組んで参ります。

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2023/03/01

伝わる声

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2021年4月にNHK総合の番組「あさイチ」にスタジオ生出演した際に、「全身リラックス運動」を紹介して、大きな反響がありました。

これは、無自覚の力みをリセットすることを目的とした運動です。

疲れやすさの原因である「力み」は、なかなか自覚をできません。自分では力んでいるつもりはないのに、夕方になるとヘトヘト。そういう人も多いのではないでしょうか。

そんな厄介な力み、実は、簡単な方法でリセットすることができます。

まずは、つま先立ちして自然にバランスの取れた姿勢を確認します。

次に、指先についた水滴を下に向けて払うイメージで指先を振ります。早く振ることよりも、心地良く振ることを心がけると良いでしょう。

このとき、指先を振った振動が体の中を伝わり足先まで届いていれば、リラックスできている、ということです。

途中で振動が止まっていたら、そこに無自覚の力みが潜んでいます。

力んでいるところに触れてみると、力みを自覚できるかもしれません。方法は人それぞれですが、力みのある辺りをゆすってみたり、軽く叩いてみると、フッと力みが取れることがあります。

そうしてまた指先を振り、振動が全身に伝わるか確認します。

これを繰り返して出来るようになったら、指先を振っている状態から静かに止まります。意識的に止めてしまうと新たな力みの元になるので、放っておいて振動が静まるのを待つ感じです。

これだけで、力みはリセットされます。

ちなみに、「力を抜く」というのは、ダラ~っとするのとは違います。それは「虚脱状態」といって、かえって疲れやすくなってしまいます

目安として、手を振った後に体が重たく感じるようならば虚脱状態、フワッと軽く感じるようならばリラックスです。

自然体とは「力を抜いた結果、自然にバランスが取れた状態」であり、最小限の力で体を支えているから疲れないのです。


身体の隅々まで振動が伝わることは、発声にも応用されます。

声を発すると振動が生まれます。リラックスした状態で声を発すると、その振動は全身に伝わります。

この振動は周囲にも影響を与えていて、「伝わる声」になるのです。

二人一組のワークで、一人がもう一人の背中や脇腹に手を添えます。添える手に力みがあると分からなくなるので、やわらかく触れます。

リラックスした状態で声を発すると、パートナーはその振動を手で触れることで分かるはずです。

身体に振動が伝わらないときは、全身リラックス運動に戻ります。

これを繰り返すことで、声の振動が全身に伝わるようになります。とても微細な感覚なので、本当にリラックスしないと分かりません。

いきなり大きな声を出す必要はなく、まずは振動が伝わるのを確認し、それから徐々に声量を上げていきます。

性能の低いスピーカーが音割れするように、身体に力みがある状態で大きな声を出すと粗雑な音になります。リラックスした状態で大きな声を出すと澄んだ音になります。結果として、遠くまで音が届きます。

「全身が楽器のようになる」と言われますが、本当にそうなります。

こういったことは俳優や声楽の皆さんにとって大切なテーマですので、心身統一合氣道の稽古で私は重点的に指導をしています。皆さん、全身リラックス運動をとても大事に稽古しています。

「伝わる声」は、心身統一合氣道の指導者には伝える上で不可欠です。特に、氣合いや号令では、そういう発声が求められます。

ビジネスパーソンがプレゼンテーションしたり、交渉したりする際も、自信に満ちた、信頼関係を構築できる声になります。

親御さんがお子さんに大事な話をする際も、伝わり方が変わります。落ち着いた、お子さんの心にスッと入っていく声になります。

全身リラックス運動は、いつでも、誰でもできる実践方法なのです。

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2023/02/01

やわらかさ

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91歳の看護師の川嶋みどり先生と、先日、対談をさせて頂きました。

看護師というお仕事は、その昔は家庭を持つことも許されず、ひたすら奉仕するものであったそうです。

川嶋先生は、そのような過酷な環境では看護師の仕事が持続可能ではないと考え、看護師の社会的地位の確立に尽力されました。

現在も、様々な活動を通じて看護師の育成を精力的にされています。

川嶋先生は、看護師にとって「触れる」ことが大切だと言われます。

触れることで相手の状態を理解し、相手は触れられることで気分が良くなって、その相互作用により生命力が発揮すると言われます。


川嶋先生は昨年、心身統一合氣道の稽古を始められました。

実際に、稽古で川嶋先生に触れられると、何と表現して良いか分からないほどやわらかく、温かく、優しい手です。

実は、このやわらかさが、心身統一合氣道においても重要なのです。

固い状態で相手と接すると、氣の動きが理解できなくなります。その結果、相手とぶつかってしまい、自在に動けなくなるのです。

固い状態だと怪我や不具合も生じやすくなります。

固くて良いことは一つもないのに、人はなぜ固くなってしまうのでしょうか。その固さはいったい何から生じるのでしょうか。

これは、稽古における大きなテーマです。


身体の面から見れば、「柔軟性」と「筋肉の質」がポイントです。

「柔軟性」は、リラックスした状態で動かす(伸ばす)ことで得られます。ただ行えば良いのではなく、統一体で行うことで効果が上がります。

柔軟性が不足した状態で動くと、様々なところに無理が生じます。

「筋肉の質」は、日頃から無理のない姿勢や動作であることで高まります。通常はやわらかく、力を発揮するときに固くなる筋肉になります。

バランスの悪い姿勢だと、常に不要な筋肉を使って姿勢を支えています。身体がその状態を覚えてしまい、力を抜いても固さが残るのです。日常の過ごし方が大切ということです。

藤平光一先生は、自分の腕を生徒さんに触れさせることがありました。力を抜くと水風船のようにやわらかく、力を込めると石のように固い。自在に変化する筋肉に、みな驚いていました。


心の面から見れば、「柔軟性」と「受容性」が重要です。

同じ「柔軟性」でも、この場合は、心が柔軟であることを指しています。例えば、「こうでなければいけない」と考えると、心は固くなります

「心が身体を動かす」のですから、心の固さは身体の力みに繋がります。心に柔軟性がないと、常に相手とぶつかってしまうのです。

「受容性」という言葉には、使い方によって様々な意味があるようですが、この場合は、相手を理解する(受け入れる)ことを指しています。

相手を理解する姿勢がないとき、自分の我意を押し通そうとするとき、心は固くなり、それは身体の固さとなって表れます。

心のやわらかさは、肉体的な力を抜くだけでは得られません。自分の考え方、捉え方の癖を正しく理解することではじめて得られます。


心と身体の両面が整ったときに、真のやわらかさが得られます。

「やわらかさ」を得ると、人との関わり方が大きく変化していきます。その変化と共に自身の技も変わっていくので、面白いものです。

稽古における大切なテーマとして、ご一緒に磨いて参りましょう。

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2023/01/07

時と場所を超え、伝わる

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人を見て法を説け。お釈迦様は仏法を説く際、その人に応じた方法で説法したと言われます。

相手の性質や状況をよく理解した上で、その人に相応しいやり方で伝えることが大事ということです。心身統一合氣道の指導で私は多くの皆さんと関わっていますので、この故事を常に心に置いています。

同じ人間は一人として存在しませんので、伝え方も千変万化します。上手くいくことばかりではないので、いつも奥深さを感じています。


何ごとにも「ちゃんとしようとする人」がいます。

行き過ぎれば固く考えやすく、心の固さは身体の力みに繋がります。そんな人には「ちゃんとしなくて良いのですよ」とお伝えしています。

反対に、何ごとにも「ちゃんとしていない人」がいます。悪く言えばだらしがなく、それでは身につくものも身につきません。そんな人には「ちゃんとしないといけませんよ」とお伝えしています。

相手によってかける言葉は変わるわけですが、ここだけを切り取ると、あるときは「ちゃんとしなくて良い」と言っていて、またあるときは、「ちゃんとしなくてはいけない」と言っていることになります。

同じ人間の発言なのに、言っていることが変化しているわけです。

これが何を意味するか。

師匠から教わる内容は、弟子それぞれによって異なるということです。

自分が触れていたのは師匠の一部であり、決して全部ではありません。ここを間違えると「自分が最も理解している」という、思い上がりに陥ってしまうのです。

そもそも、弟子は自分のフィルターを通じて師匠に触れていますから、自分が理解していることは師匠の一部でしかありません。

だからこそ、他の人が、何に触れ、どのように教わったかを知ることは、師匠の実像を理解する上で重要な助けになるのです。


私は、藤平光一先生と同じ時代に生きて、学んで来た年長者の存在が、この上なくありがたく感じています。

藤平光一先生から直に指導を受けてきたベテランの指導者がいます。

この方は、お若い頃に古民家解体作業をしていました。泥だらけになり、何とか稽古場にたどりついたものの足は真っ黒でした。稽古が終わると、藤平光一先生は濡れタオルで自身の足を拭きました。

今まで一度もなかったことなので、この方は不思議に思ったそうです。

一週間後の稽古も汚れた足で参加したところ、また同じように拭いています。そこでハッと氣づいた指導者は、次の稽古で足を綺麗に洗って参加しました。すると、藤平光一先生は足を拭くことは止めたそうです。

相手を傷つけることなく、相手が自ら氣づけるように伝える。誇りを持って仕事する相手に、ただ足の汚れを指摘することはしなかったのです。

そこに、藤平光一先生が「何を大事にしていたか」が見えるのです。

この出来事に感銘を受けた指導者は、生涯にわたって藤平光一先生に師事し、現在でも活動を続けています。

こういったお話から、藤平光一先生はすでに逝去されているのに、時間と場所を超えて、いまこの瞬間に語りかけられる感覚になります。

本当に大切なことは、「人から人に伝わる」からでしょう。

いつか、それらを一冊の本にまとめたい、と考えております。

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2022/12/01

氣が出ている状態で行動する

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心身統一合氣道の稽古において、最も大事にしている原則があります。これは人を導く上でのプロセスを示しています。

 心身統一合氣道の五原則

  一、氣が出ている
  二、相手の心を知る
  三、相手の氣を尊ぶ
  四、相手の立場に立つ
  五、率先窮行(そっせんきゅうこう)

「氣が出ている」とは、氣が通う、と置き換えると分かりやすいでしょう。

氣は身体の隅々に通っています。氣が通っているときは身体を自在に使えます。身体に力みがあるときは氣は滞り、思うように身体を使うことができません。

氣は相手や周囲と通っています。氣が通っているときは周囲がよく見えます。心に執着があるときは氣は滞り、相手や周囲のことが分からなくなります。

氣が出ている状態だから、持っている力を発揮することができます。そして、氣が出ているから、技もできるのです。

故に、心身統一合氣道の五原則の最初が「氣が出ている」なのです。


心身統一合氣道の稽古方法の一つに、相撲のように相手と組み合った状態で、相手の道着や帯は持たずに、相手の身体に手を添えた状態で前に進む稽古があります。

シンプルですが、奥の深い稽古方法です。

人は、動き始めに乱れやすいもの。今まさに動作を起こそうとするその瞬間に、氣が滞ってしまうのです。乱れを自覚することができます。

「相手を押して動かそう」とすると、上体や腕、脚に力みが生じます。すると、氣が滞ってしまって、前に進めなくなります。

「どうやって動かそうか」と考え事が始まると、心に執着が生じます。すると、氣が滞ってしまって、やはり前に進めなくなります。

身体の感覚を確かめようとすると、そのとき心は隙だらけになります。虚脱状態になって、氣が抜けて動けなくなるので、これは論外です。

この稽古方法を通じて、いとも簡単に氣が滞ってしまう事実に直面し、「自分はこんなにも乱れやすかったのか」と驚くわけです。

「氣が出ている」状態で動けば、何の問題なく前に進めるわけですが、こんなシンプルなことが、人はなかなか出来ないのです……。


氣が出ている状態は、言葉で理解することは難しく、実際に体験して、身体で会得して、はじめて理解できます。

それでも、自身で確かめる基準はあります。

例えば、氣が出ているときは、全身、どこにも力みがありません。足先や指先など身体の隅々に氣が通っているので姿勢も盤石です。視野が広く、周囲のことを鋭敏に感じられる状態になっています。

心身統一合氣道の稽古では、氣のテストで氣が出ている状態を確認した上で、激しい動きでも維持できるように訓練をします。

トップアスリートが体験すると、皆、「調子がよいときはこういう感じです!」と言います。問題は、常にその状態を維持することが、自力だけでは難しいことにあります。

だからこそ、稽古を求め続けるのでしょう。


氣が出ている状態で動くことを、しっかりと身につけるためには、道場での稽古だけでなく、日常での訓練も不可欠です。

身体の状態だけではなく、心の状態にも直結しているからです。

「やならければいけないこと」があり、やるかどうか迷ってしまうとき、あるいは、嫌々やるときはありませんか。そのような心の状態に陥った瞬間に、すでに氣は滞っているのです。

「やるならやる」「やらないならやらない」と心を決めることが大事で、ひとたび決めたことは淀みなくスッと行うことです。

その積み重ねによって「氣が出ている状態で動く」習慣がつきます。


私は子どもの頃から、何をするにも心が決まらない性格でした。

内弟子修行で徹底的に鍛えられたのがこの癖の上書きでした。新たな習慣がついてから、不思議なことに技も上手くいくようになりました。

その変化を見守っていた藤平光一先生は、私に言葉をかけました。

「お前は、何かしようとするごとに、自ら氣を滞らせていたのだよ。氣が出ているから相手を理解できる。相手を理解するから導けるのだ。」

そして、このように続けました。

「修行とは、日々、日常で行うこと。いかなる状況下でも氣が出ているように、修行は一生、続けなさい」

それ以来、何をするにも、道場は勿論のこと、日常生活においても、「氣が出ている状態で行動する」ことを心がけてきました。

そして現在の自分に至っています。今となっては、私が心が決まらない性格であったことは誰も想像できないようです。


日常が変わるから技が変わる。まさに「生活の中の合氣道」なのです。

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