カテゴリー「03-メールマガジン記事」の153件の記事

「藤平信一メールマガジン」に掲載された記事です。

2017/03/01

緊張感

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藤平信一です。

大事な場面。

緊張感によって思うように力を発揮出来なかったという苦い経験を、誰しもが持っているのではないでしょうか。

しかし、本来は「緊張感」とは悪いものではありません。

実際のところは緊張感によって集中力を発揮することが出来ます。本番に向けて緊張感が増すということは、集中力を発揮するため、本能的に身体が臨戦態勢を整えているということです。

私自身は元々は緊張しやすい性格でしたので、大事な場面の前は、ひどい緊張感で過ごしていました。

程度の差はあれ、それは指導者になった今も変わりません。ロサンゼルス・ドジャースの指導も、NHK「あさイチ」の生出演も直前まで大変な緊張感がありました。

ところが、今から数年前、ある学会での大きな講演会でしたが、直前にも関わらず全く普段と変わらないときがありました。

「ついに落ち着きを会得したか」などと傲慢なことを考えながら壇上に上がったところ、頭が真っ白になり、何を話すか分からなくなってしまいました。

それまで一度たりともなかったことです。幸運なことに調子を取り戻して、何とか講演を無事に終えました。

振り返ってみれば、この頃はかなり「講演慣れ」してきていて、目の前の講演にしっかり心を向けていませんでした。その結果、本来不可欠な「緊張感」が全く生じなかったのです。

講演は毎回違う人が対象であり、「一期一会」であるはずなのに、そんな基本すら忘れていたことを恥ずかしく思いました。対象や規模に関係なく、今では毎回、健全な緊張感を得ています。

他方で、緊張感でガチガチになってしまう人もいます。この場合は明らかに緊張感がマイナスに働いています。その原因は「緊張感」の捉え方に問題があります。

最もいけないのは、緊張があるのに「自分は緊張していない」と、自分に対して嘘をつくことです。緊張感を無視すればするほど、どこまでも追っかけてくるものです。

緊張感も自分の一部であり、「ようこそ!」「いらっしゃい!」と、歓迎するくらいの氣持ちで受け入れることが重要です。

場合によっては、緊張感を口に出すことも大きな効果があります。これは決してマイナスな言葉を口にしているわけではなく、「今」の自分の状態を冷静にみるために必要なことなのです。

緊張感を受け入れた瞬間に、心も身体もそれに順応していきます。簡単に言えば「緊張感に馴染んでくる」のです。すると今度は緊張感が集中力として発揮され、持っている力を最大限に発揮出来る状態になります。

「順応」がキーワードであり、心を静めて現実と向かい合うとき、厳しい局面でも、人間はその環境に順応していくことが出来ます。

4月から、環境が新しくなるという方も多いことと思います。緊張感があると思いますが、ぜひ活かして頂きたいと思います。これもまた重要な稽古なのです。

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2017/01/10

大自然と氣

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藤平信一です。

「氣」というと、よく分からない怪しいものと捉える方がいます。かくいう私も例外ではありませんでした。

理系で学んでいた私は、「科学で証明を出来ないもの」は信じられず、「氣というものがある」という前提で学ぶことは出来ませんでした。

そんな私がなぜ学ぶことが出来たかと言えば、藤平光一宗主が日頃よく言われる、ある「言葉」からでした。

「正しいことには普遍性と再現性がある」

「普遍性」とは、誰もが出来るということ。「再現性」とは、(同じ条件下であれば)何度でもできるということ。「氣」という形のないものを会得するには、この二つの性質が備わっていることを確認いしければいけないと説きました。

そこで、私は自分自身で「実践」し、「検証」することを「氣」を学ぶ基本姿勢とすることにしました。教わったことを鵜呑みにせず、良い意味で「疑う」ことから始めて、普遍性・再現性に基づいて「実践」「検証」を積み重ねて来ました。

その結果、「氣」が如何に重要かを学んで参りました。

「氣が通う」「氣が滞る」はその一つです。

我々は、外界(大自然)と氣が常に通っているのが本来の状態ですが、心の使い方、身体の使い方を誤ると、氣が滞ってしまいます。氣が滞ると、コンディッションや人間関係などで不具合が生じます。

特に自己中心的な状態になると、外界との繋がりを失って氣が滞り、周囲のことが全く見えなくなります。すると、いま自分が何をすべきかが全く分からなくなってしまいます。

こういうときは、氣が滞った状態を如何に解決するかが重要であり、心身統一合氣道の技の稽古や氣の呼吸法などが大きな助けになります。


この氣の滞りを、大自然の力を借りて解消する方がいらっしゃいます。
それが山田博さんです。山田さんは元々、厳しいビジネスの世界で生き抜いて来られました。その後、コーチングを学びプロコーチとなり、現在は、森の中でのワークショップを開催なさっています。

森の中で数日過ごしていると、理屈ではなく実感として、外界との繋がりを取り戻すことが出来ると山田さんは言われます。

特に現代人が持つ「漠然とした不安」は、大自然との繋がりを忘れ、自分一人の存在に陥ったときに現れます。「森」は、その繋がりを取り戻す手助けをしてくれるのだそうです。また、森で過ごすうちに、人間が本能的に感じる「恐怖」と、頭の中で作り出す「不安」の違いも分かってくるそうです。

山田さんは「森を応援して委ねる。委ねれば委ねるほど、うまくいく。森は何の見返りも求めず、全てを受け入れてくれます。森はそんなところです」と言われます。

2月11日(土)建国記念の日に開催する「Kiフォーラム2017」に、山田博さんをゲストスピーカーにお迎えして、「大自然と氣」をテーマにトークセッションをいたします。

参加対象は、心身統一合氣道会の指導員と会員です。一般の方でも、指導員・会員が同行する場合は参加が可能です。過去のKiフォーラム」、もしくは日本経営合理化協会「藤平信一・氣の道場」に参加された方も対象です。

参加される方には、慶應義塾大学大学院の前野隆司教授が書かれた『無意識の整え方』を事前に読まれることをお勧めします。四つの異なる分野の方と前野先生が「無意識」について対談したもので、私と同様に山田さんも対談されています。

Kiフォーラム2017」の内容をより深く理解出来ます。

皆さまのご参加をお待ちしています。

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2016/12/01

道とは

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藤平信一です。

「心身統一合氣道」に限らず、日本には「道」のつく学びがあります。「道」の解釈は無限にありますが、私は文字通り「道(みち)」と捉えています。

「道」は永続性を表しています。道は未来に向けて連綿と繋がっています。もし、途中で切れていたら、それは「道」とは言えません。

その性質から、人生もよく「道」に例えられます。

いま自分が何をすべきか、自分がいましていることの意味を知るには、目先のことではなく、「道」として捉えることが重要なのです。

我々は自分たちが学んでいる道場を掃き清めます。

スポーツジムに通う人は、おそらくジムを清掃することはないかもしれません。道場の場合、そこで稽古する者が一緒になって道場を掃き清めます。

始めのうちは、「なぜ清掃をするのか」疑問に思う人がいるようです。そんな時間があるのであれば、稽古する方が良いのではないか、と。

もし、心身統一合氣道をテクニックやノウハウとして学ぶのであれば、清掃などはまったく無駄な時間に見えることでしょう。

もし、心身統一合氣道を「道」として捉え、長いスパンで学ぶのであれば、清掃が決して無駄な時間ではないことが分かります。「清掃する」ことは「自分の心と向かい合う」こと。自分の成長に繋がっています。

事実、藤平光一宗主の内弟子時代、道場やその周辺をよく清掃していました。始めのうちは意味が分かりませんでしたが、日々清掃を続けるうちに、自分自身の心の変化に氣づくようになりました。

一つ一つのことに細かいことにまで氣が届くようになり、それまで氣づかなかったことにも氣づけるようになってくるのです。

それは稽古の質に直結し、技の理解も深くなることが身体で分かりました。本当に身につけるには、「清掃」もまた大事な稽古であったのです。

「修行においては、望む望まないに関わらず目の前のことを全力でやれ」と、清掃に限らず、藤平光一宗主は私にありとあらゆる事を経験させました。

その結果、現在の自分があります。今となってみれば、何でもさせて頂いて本当に良かったと思います。

若くて未熟なうちは「これをやって何になるのだろう」と考えがちです。それが無駄なことかどうかは、「道」として捉えてはじめて分かるのです。人生を「道」として捉えれば、無駄なことなどほとんどありません。

失敗や挫折も、出来れば経験したくないものです。目先のことだけしか見えていないと氣は滞り、氣力もなくってしまうでしょう。

しかし、「道」という視点であれば失敗も挫折も大事な経験であり、それが必ず将来に繋がると信じることが出来ます。だからこそ乗り越えて行けるのです。

「道」という考え方は、目先のことにとらわれやすい人の心に対して、「長いスパンで物事を捉える」先人の知恵だと、私は考えています。

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2016/08/01

聴く・伝える・反応する

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藤平信一です。

昔から、人間が抱える最大の問題は「人間関係」と言われています。

始めから壊れている人間関係もありますが、多くの場合、始めは良好で、些細なことをきっかけに「ボタンの掛け違い」の如く悪化するものです。

組織の長として、私は人間関係の相談を受ける機会が多くあります。

悪くなっている人間関係を瞬時に解決するような「魔法」は存在せず、ボタンの掛け違いの元となっていることを見つけ出すことが必要です。それには「どちらか一方の努力」ではなく「双方の努力」が必要です。

どちらか一方でも関係修復を諦めたり、無関心になっていたりすると、問題の解決は難しくなります。双方に解決の意思があれば、時間はかかっても必ず解決を出来ます。解決の意思がない場合、アプローチは完全に違うものになります。

なぜなら、問題の原因は「コミュニケーション」にあるからです。

コミュニケーションにおいて重要なことは沢山あるのですが、私は「聴く」「伝える」「反応する」を3要素と置いています。

相手の話を「聴く」、この当たり前のことが決して簡単ではないのです

「自分のことを理解して欲しい」「相手を説得したい」という状態だと、相手のことを全くみておらず、話が耳に入らなくなります。自分のこと・相手のこと・周囲のことも全く分からない状態ですので、適切な行動を取れなくなってしまうのです。

これは技の稽古と同じです。「相手を投げたい」「自分の思い通りに動かしたい」という状態だと、相手のことを全くみておらず、結果、導き投げることは出来ません。

臍下の一点に心を静め、心身一如で相手と向かい合うことで、話の内容は勿論、相手の「思い」も理解することが出来ます。

たとえ、相手の意見を否定し、却下しないといけない場合でも、ひとたび相手の「思い」を受け入れることが重要なのです。

相手に「伝える」ことも、「聴く」と同様に簡単ではありません

何かを伝えるとき、例えばイライラして心の状態が乱れていると、そのイライラが先に相手に伝わってしまって、耳を閉ざされます。伝える側の心がネガティブな状態でも、同じことが起きます。

知識や情報を伝えるだけならばどのような状態でも出来るかもしれませんが、「思い」のように形のないものを伝えることは難しいものです。

そもそも伝えるには、相手と「信頼関係」があるのが前提です。その上で臍下の一点に心を静め、心身一如で向かい合うことで、本当に伝えたいことが伝わるようになります。

ただし、順番は「聴く」→「伝える」で、逆は上手く行きません。したがって、「伝える」訓練より「聴く」訓練が優先されます。

「反応する」は、大抵は無意識の働きです。

相手が過激な言葉を使うと、その刺激に無意識に反応してしまって、さらに過激な言葉で応酬することになります。或いは、その反応を無理に抑えようとすると大きなストレスになり、心に過度な負担がかかります。

刺激そのものを止めることは出来ませんので、刺激が生じた後に、どのように対処するかが重要です。

このとき、最も良い方法の一つが「ひと呼吸おく」です。氣の呼吸法で息の吐き方(静まり方)を訓練している方であれば、ひと呼吸おくことで、刺激に対してすぐに反応せずに済みます。

相手が過激な言葉を使ったとしても、「どうかしましたか?」と相手を氣づかうだけの心のゆとりが生まれます。これは本当に大きいことです。

「聴く」「伝える」「反応する」それぞれを訓練しておくことで、相手や周囲とコミュニケーションを取れるようになって来ます

人間は一人一人異なる考えや意見を持っているのが当たり前です。だからこそ、話し合うことで良いものが生まれます。

「聴く」「伝える」「反応する」という基本が出来てさえいれば、変な表現ですが、安心してぶつかり合うことが出来ます。そこから素晴らしいものが生まれます。

この基本が出来ていないと、相手や周囲から拒絶されるのを恐れて、お互いが傷つかない適当な距離を取るようになります。その結果、何も生まれなくなります。

「聴く」「伝える」「反応する」は心を静めることで磨かれます心身統一合氣道の稽古を通じてご一緒に磨いて参りましょう。

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2016/07/04

生活の中の訓練

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藤平信一です。

私の本業は心身統一合氣道の指導・普及と指導者の育成です。一年を通じて最も多くの時間を使います。

さらに、心身統一合氣道を世の中に広く知って頂くため、本を書き、取材を受け、外部の講演・講習で「氣」の指導をしています。

ロサンゼルス・ドジャースやサンディエゴ・パドレスのように、合氣道と完全に異なる分野で指導しているのも、その一環です。スポーツだけではなく、その分野は多岐に渡っています。

勿論、自分自身の勉強や訓練の時間も確保しなければいけないので、総てを全うするには、当然のことながら時間が足りません。

つまり、私にとって時間の使い方が最大の課題です。

実際のところ、稽古以外で自分自身の勉強や訓練の時間を別に設けるのはなかなか難しいので、「見るもの・触れるもの」総てが訓練、と自分の中でおいています。

例えば、仕事において、こちらの用件で先方に電話するとします。

伝える内容によって、始めに「何分で話をするか」目標を決めておきます。また、電話する相手には最初に「~分頂けますか」とお伝えしています。

これをすることによって、二つのことが得られます。

第一に、目標の時間を決め、その中で相手が理解出来るように伝えるには、事前に自分のなかで話の内容が整理されていなければいけません。

また、相手がどの程度状況を把握しているかによって必要な時間は変わります。したがって、相手のことも理解しておく必要があります。

決まった時間内に収まらないときは、自分の伝え方に不足があったのか、あるいは、目標そのものに無理があったのかもしれません。何にしても、次に目標を立てる際にフィードバックします。

このトライ&エラーを繰り返すことによって、相手のことをよくみる様になり、「分かりやすく伝える」訓練になるのです。

第二に、「時間」の感覚が身につきます。

3分間で伝える」という目標を立てて、実際に3分で収まるようにすると、いちいち時計を見なくても3分という長さが身体で分かるようになります。

この時間の感覚は指導の現場でも活きて来ます。3分を過ぎると体感で分かるので、自分の話が長くなっていることに氣づき、そこから立て直すことも出来るようになります。

この3分は状況によって変わるものであり、また研究の余地もあります。

私はいま基本を「2分」に定めています。時間がかかっても「3分」です。また、対面で話をする際は「1分」を基本にして伝わるように心がけています。

本来、こちらの用件で話しかけているので「相手の時間を頂いている」わけです。湯水のように時間をかけて良いはずがありません。

自分の中で話の内容が全く整理されていない状態で話しかけてしまうと、相手は、話の内容を理解するために余分な時間をかけることになります。

厳しい表現をすれば「相手の時間を盗んでいる」ことになります。

勿論、時間を氣にしながらでは出来ない重要な話もあります。そういう場合は、反対に、時間の制約を完全に取り払うことが大事です。

また、相手の用件をお聞きする場合は、こちらで目標は立てられないので、誤解がありませんように...

たかが電話、されど電話。

目的を持って行えば、電話をかけること一つでも重要な訓練になります。私たちは何千回、何万回と電話をかけているわけですが、目的なくただ行っていたら、そこから得るものはほとんどありません。

歩くこと、登ること、持つこと、運ぶこと、伝えること、など、日常生活のあらゆる動作や行為が訓練になるのです。このように、私はあらゆることで訓練しています。

すると、限られた時間であっても有効に訓練することが出来ます。この原稿を書いている今も、まさに訓練の最中なのです。

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2016/06/01

氣が出ている

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藤平信一です。

握手を思い浮かべて下さい。

相手との距離、手を出す位置やタイミング、視線を向ける先など、私たちはどのように決めているでしょうか。

多くの場合、無意識のうちに決めています。むしろ、どのくらいの距離で握手をしたら良いかを考えた瞬間に、どうしたら良いか分からなくなり、自然な握手ではなくなります。

氣が出ているとき、すなわち周囲(外界)と氣が交流しているときは、その関わりにおいて、どうあるべきかを察知することが出来ます。

初めて会う人と、何十年来の友人に会うのでは距離は違うでしょうし、国や文化によって、あるいは人によっても適切な距離は違います。

重要なことはそれを感じ取れるかどうかです。

「自分がどうすべきか」と自分のことだけに心がとらわれた状態だと、周囲との関わりがないため何も察知出来なくなるのです。

合氣道の技も同じことで、相手との距離・位置関係、間(ま)などは、その関わりによって自然に決まります。

「自分がどういう動きをするか」という心の使い方をしているうちは、どうして良いのかは分かりません。

氣が出ていることが稽古の出発点であり、だからこそ、「心身統一合氣道の五原則」の最初に記されています。

 心身統一合氣道の五原則

  一、氣が出ている
  二、相手の心を知る
  三、相手の氣を尊ぶ
  四、相手の立場に立つ
  五、率先窮行

それでは、どうしたら「氣が出ている」状態を確認出来るでしょうか。

問題は、「氣が出ている」状態とは、特別な感覚ではないことです。それは「元氣である」ことに似ています。

元氣なときは特別な感覚があるわけではありません。健康なときは、むしろ健康であることを忘れています。

他方で、元氣なときは様々な実感があります。例えば「身も心も軽い」「食事やお酒を美味しく感じる」ようなときは、その実感を通じて元氣であることが分かります。

氣が出ている状態も、このような実感を通じて確認することが出来ます。確認の方法は幾つもありますが、ここでは三つ紹介いたします。

【見える範囲が広いか】

これは視界の問題だけではなく、視野が広く保たれているかどうかです。見えている範囲が広いとき、氣が出ています。

調子の悪いアスリートを指導していると、例外なく視野が狭くなり、氣が滞っていることが分かります。「集中」と「執着」を混同していると、これがよく起こります。

【周囲を感じられるか】

周囲のことを良く感じられるときは氣が出ています。反対に、一つのことに心がとらわれて、周囲のことが感じられないときは、氣が滞っているときです。

目の前のことに心がとらわれると、周囲のことを全く感じられなくなります。「相手に合わす」という心の使い方をしていると、これがよく起こります。

【全身でとらえているか】

「全身全霊」という言葉の通り、合氣道だけでなく何事を行うときでも、全身でとらえているときは氣が出ているときです。

身体を部分的に用いているとき、つまり全身でとらえていないときは、氣が滞っているときです。小手先で物事をしようとすると、これがよく起こります。


このような実感を通じて自分自身の状態をみていると、一日の中でも、氣が出ている状態、滞っている状態を繰り返していることが分かります。

自分の状態を正しく理解するからこそ良くすることが出来ます。自覚のないものは直しようがありません。

「氣が出ている」ことが稽古の出発点である以上、道場では勿論のこと、日常生活で氣が出ている状態を確認することが重要なのです。

ご一緒に磨いて参りましょう。

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2016/04/01

統一体

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藤平信一です。

我々の動作の多くは無意識が行っています。
この場合の「無意識」とは「不用意」の意味ではなく、自覚していない意識を指しています。

慶應義塾大学大学院の前野隆司教授との対談(無意識の整え方』に収録)で、脳の活動において、「意識を司る領域」よりも「無意識を司る領域」の方が、より早く反応することが科学的に示されているとお聞きしました。

このことは私にも深く実感があり、心身統一合氣道の動きにおいても、またトップアスリートの指導においても良く分かります。

 

調子の良い選手は、頭で命令して身体を動かしているのではなく、身体に任せて、周囲のことを感じ取った瞬間に対応しています。このとき、緊張したり、執着したり、心の状態が乱れると周囲のことを感じ取れません。

 

トップアスリートであれば技術が優れているのは当然であり、勝負は技術の差ではなく、良い状態を維持できるかどうかで決まります。いわゆるスランプとは「良い状態を維持出来ない」「再現出来ない」状態です。

 

どうしたら良い状態を持続出来るのでしょうか。

 

この答えが「統一体(心身統一した状態)」です。

 

心身は一如。心身統一とは「心」と「身体」の統一ではありません。「心身統一」とは「天地と一体になる」こと、すなわち天地と氣が交流している状態を指します。

 

このとき、氣が交流しているからこそ周囲のことを良く感じ取り、瞬時に対応することが出来ます。緊張したり、執着したりして氣の交流が滞ると出来なくなります。

 

心身統一合氣道では、氣が交流している状態を「氣が出ている」と言います。

 

トップアスリートにとって、大きなプレッシャーのなか、「氣が出ている」状態を保つことが課題であり、そのために、姿勢や呼吸、基本的な技を通じて統一体の訓練をします。

 

今春からは、新たにアメリカ大リーグのサンディエゴ・パドレスで心身統一合氣道に基づいた「氣のトレーニング」が春季キャンプに導入され、多くの選手が大事な場面で力を発揮する訓練をしています。

 

さて、話を無意識に戻しましょう。

 

無意識が働いているのは何もトップアスリートだけではありません。例えば、「立つ」「歩く」といった基本的な動作においても、無意識は重要な役割を果たしています。

 

同じ立つという動作でも、板の間のような固い床に立つときと、砂浜のような柔らかい地面に立つときでは、立ち方は変わっています。また、凸凹した舗装されていない道を歩くときも、その状況によって歩き方は随時変わっています。

 

多くの場合、我々はそれを無意識で行っていて、感じ取った瞬間には対応出来ています。我々が日常で何氣なく行っていることは、実はものすごいことで、試しに意識してやってみると、意識が邪魔をして、かえって上手く行かないことが分かります。

 

心身統一合氣道は「氣の原理(心が身体を動かす)」に基づき稽古します。ここでいう「心」とは自覚の出来る意識だけではなく、自覚の出来ない無意識も含まれています。氣が出ている状態は、意識も無意識も含めて心が最も自由に使えます。

 

技においても、頭で命令して身体を動かしているうちは本物ではありません。基本的な動きを繰り返し、意識しなくても動ける状態になって本物です。

 

ご一緒に統一体を磨いて参りましょう。

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2016/03/01

伝えにくいことを伝える

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藤平信一です。

「伝えにくいことを伝える」、とても大事なことですが多くの人が苦手としています。

「伝えやすいこと」を「伝えやすい人」に伝えるのは問題ないでしょう。「伝えにくいこと」を「伝えやすい人」に伝えるのも、工夫さえすれば何とか出来るという人も多いでしょう。

問題は、「伝えにくいこと」を「伝えにくい人」に伝える場合です。

私は組織のリーダーの立場にありますので、伝えにくいことでも当人に伝えなければいけません。しかも、私より年長であったり、道における先輩であったりします。

伝えにくいという理由で、伝えることを諦めたり後回しにしたりすれば、問題は解決されることなく事態は悪化します。私がそれをしてしまえば、自分の役割を果たすことが出来なくなります。

一方的に伝えるだけではなく、相手が受け入れなければ意味がないので、正確には「どの様に伝えるか」ではなく「どうしたら伝わるか」であり、だからこそ私にとって良い訓練になるのです。

 

特に「注意」がそうなのですが、早期に軽く注意すれば済むことなのに、それを出来ずに、いよいよ我慢出来なくなって大鉈(おおなた)を振るう人がいます。それでは人間関係が壊れてしまいます。

れでは、どうしたら伝えにくいことが伝わるようになるのでしょうか。

「言葉を選ぶ」「表現を工夫する」「タイミングを選ぶ」「感情的にならない」等、重要なポイントは沢山あります。それらの土台となるのが「氣が通っている(かよっている)」ことです。

 

「氣が通っている」とは「相手と対峙する関係」にある状態ではなく、「相手と共に歩む関係」にある状態を指します。この場合は「信頼関係が構築されている」と置き換えて構いません。

誰にでも「あなたにだけは言われたくない」という人がいます。の人が正しいことを言っていたとしても受け入れられないでしょう。反対に、「この人に言われるのならば仕方ない」という人もいますね。その人から少々厳しい指摘を受けたとしても受け入れられるものです。

氣が通っている人から伝えれば何の苦労もなく伝わる内容なのに、そうでない人から伝えると全く伝わらない。これはよく起こる現象です。

特に、「伝えにくい」ことを伝えるには、伝え方をあれこれ考える前に、「どうしたら氣が通うか」を考える方が近道なのです。

ある企業で講演をした後、懇親の場で参加者の一人が私に質問しました。職場にとても付き合いにくい同僚がいて、挨拶もほとんど交わさず、必要最低限の会話だけで、出来るだけ関わらないようにしているそうです。

 

あるとき、仕事で自分からその人に伝えなければいけないことが生じて、しかも、その人の態度を指摘する内容だったのです。質問した方は「貧乏くじを引いてしまった」と苦笑いしていました。

これは大変なストレスでしょう。一体、どうしたら良いのでしょうか。

 

苦手な相手を避けるのは、人間の本能的な行動です。しかし、必要最低限だけ関わる姿勢では氣が通わなくなりますので、今回の様に、いざという時にコミュニケーションが取れなくなります。

苦手な相手ほど、日頃から氣が通うように工夫をしておくのが重要です。日頃から積極的に声をかける、といっても決して大袈裟なことではなく、例えば自分から挨拶するだけでも構いません。

このとき、相手が挨拶を返すかどうかをあまり氣にしてはいけません。始めは、こちらから氣を向けることが重要なのです。

 

実行してみると良く分かりますが、たったこれだけのことで氣は通います。それをしている人、それをしていない人では、いざという時に声をかけて、相手の受け入れ方は驚くほど違って来ます。

 

防災と一緒で、いざという時のために「日頃が重要」ということです。

あるいは、もう一つ方法があります。

自分が伝えなくても、相手と信頼関係が出来ている人がいるのであれば、その人に協力頂くという考えもあります。その人から相手に伝えて頂く方法もあれば、その人に自然な形で同席して頂いて、相手に伝える方法もあるでしょう。

ただ、あなたと協力者に信頼関係が必要なのは言うまでもありません。また、自分が伝えることから逃げているときは協力を得られません。

相手に最も良く伝わることを考えて、自分が伝えることにこだわらず、最も伝わりやすい人から伝えることも選択肢の一つです。

結論として、氣が通っていない状態では何を伝えても伝わりません。それが「伝えにくいこと」であれば尚更です。「伝えにくい」ことがスムーズに伝わるようになると、コミュニケーションは劇的に改善し、望む結果を得やすくなります。

心身統一合氣道の技を通じて「氣が通う」ことを学んでいる皆さんは、道場だけではなく、日常生活でも是非実践頂きたいと思います。

日常生活で出来るようになって初めて「身についた」と言えます。私自身も日々、取り組んでおります。

 

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2016/02/01

争わざるの理

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藤平信一です。

最近、よく受ける質問の一つが「争わざるの理について」です。自分自身に争う氣持ちがなければ争いは生じないかと言えば、そんな事はあり得ません。それは今の世界情勢を見れば明らかです。

正しくは「自分自身に争う氣持ちがあると常に争いを生み続ける」ということです。つまり、自分の心のあり方が重要ということです。

私は元々とても氣性が荒く、親には常に心配をかけていました。刺激に対して過剰に反応する子供でした。心の中には常に争いがあり、そういう氣を発し続けていましたので、自分から揉め事を引き寄せていました。

心身統一合氣道の稽古においても、常に相手とぶつかってしまい、時に癇癪を起こすことさえありました。藤平光一宗主から「争わざるの理」を教わってはいたのですが、全く理解を出来ずにいました。

内弟子となってからこの様なやり取りがありました。

宗主 「(技が)上手くいかないようだな」
私  「はい」
宗主 「目の前にいる相手はどういう存在か」
  「投げる相手です」
宗主 「そうではない。相手を助けてあげなさい」

私は良く分からなくなってしまいました。今から投げる相手を「助ける」とは一体どういう意味なのだろう。

その後、稽古を重ねるうちに氣づきました。私は無意識のうちに目の前の相手のことを「倒すべき相手」と捉え、どうしたら投げられるかばかりを考えていました。心は常に争い続けていたということです。

自分の都合でしか相手を見ていないのですから、相手を理解出来ず、その結果、自分勝手な動きとなって相手とぶつかっていたのです。

目の前の相手は「倒すべき相手」ではなく「共に歩む相手」であり、無意識のうちにそう捉えた瞬間、相手のことを理解し始めます。相手の状態が分かるからこそ、はじめて尊重することが出来ます。

私は常に「相手の立場に立つ」ことを意識していたつもりですが、実際は無意識のうちに「倒すべき相手」と捉えていたのですから、上手くいくはずはありません。

このように述べると、スポーツや格闘技の試合を思い浮かべ、そういう心のあり方では難しいのではないかと考える人がいます。

そんなことはありません。実際に、スポーツや格闘技で特に優秀な選手を指導していると、みな、「相手を倒す意識が強すぎると調子が悪い」と言います。相手の状態が全く分からなくなるのです。

元々、自分も相手も天地の一部であり、氣は交流しています。無意識に「相手を倒そう」「相手を打ち負かそう」とした瞬間、氣の交流が途絶えてしまうのです。真剣勝負をする相手でも決して「敵」ではないのです。

この心のあり方を身につけるのは、一朝一夕のことではなく、稽古は勿論、日常生活で実践してはじめて出来ることです。

これは人生万般にも言えることです。

「人間」というものを無意識のうちにどう捉えているか。自分以外の人間を「打ち負かす敵」として捉えているうちは、心は常に疲弊し、一生、安まる瞬間はないことでしょう。

「共に生きる相手」として捉えていれば、余分な緊張もなく、一緒に歩んで行くことが出来るでしょう。

現実の社会は勝ち負けがあり、利害関係も常に存在します。そこに無関心では生きていくことは難しい。自分の心のあり方に関係なく、危機が及ぶことさえあります。それに対する準備や用心も不可欠です。

しかし、それらに支配され、心が常に争い続けていては、心は疲弊し、幸福な人生は得られないでしょう。厳しい現実を前にして、如何に氣が交流するかが重要であり、私自身の修行の最大のテーマです。

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2016/01/12

無意識の整え方

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藤平信一です。

「心」というと、自分が自覚している「意識」と捉える人がいます。それは心の一部であり、全部ではありません。

「心」には自覚していない「無意識」があり、我々の行動の多くは、この無意識から生じています。

したがって、心の状態を正しく知るのは昔から難事中の難事とされています。

心身統一合氣道の根幹は「氣の原理(心が身体を動かす)」です。

無意識を含めて、心の状態は何らかの形で身体の状態に表れています。つまり、身体の状態を通じて、心の状態を知ることが出来るのです。

心の状態を正しく把握出来るからこそ、心の使い方を変えられます。

昨年の夏に面白い出会いがありました。

慶應義塾大学大学院の前野隆司教授はシステムデザイン・マネジメントがご専門で、近年は人間の「無意識」について研究なさっています。

前野先生のオファーにより、前野先生が新しく出版する著書に私との対談が掲載されることになりました(私の他にも3名、各分野の方と対談されたそうです)。

前野先生が積み重ねて来られた「無意識」の研究結果には心身統一合氣道の根幹である「氣の原理」と共通することが多くあります。

そのため、とても有意義な対談となりました。

心身統一合氣道の稽古に役立ちますので、ぜひお読み頂きたいと思います。

 『人生が変わる!無意識の整え方』 前野隆司(著)

今年は「無意識」が注目されるかもしれません。

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