2021/03/01

上ずった状態をリセットする

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新型コロナウイルスの感染拡大により外出を自粛するようになり、心身に不調を来す人が多くなっています。

慢性的な肩こりや腰痛といった身体の悩みも、イライラしやすい、落ち込みやすいといった心の悩みもあります。

感染拡大が収束するにはワクチン接種を含めてまだ時間がかかり、こういった悩みに対して具体的な対処法も見つからないことから、出口が見えず、悩みは深刻になりつつあります。

 「これさえやれば総て解決!」という万能な方法はありませんが、日々の生活で、少し氣をつけるだけで良くなることがあります。

私たちは「臍下の一点に心が静まっている」のが本来の状態です。しかし、日常では気持ちが上ずる(うわずる)瞬間がたくさんあります。

例えば、緊張しているとき、焦っているときはどうでしょうか。臍下の一点ではなく、頭や上体に来ていることが分かります。

例えば、胸を張って、力みが生じているときはどうでしょうか。このときも臍下の一点ではなく、胸の辺りに来ていることが分かります。

実は、この「上ずっている状態」が心と身体を疲弊させているのです。

それでは、日常でどんなときに上ずっているでしょうか。

まずは身体の面から振り返ってみましょう。

  • 電車でつり革を持つとき、肩が上がっていませんか。
  • パソコンで作業するとき、肩が上がっていませんか。
  • 料理で固いものを包丁で切るとき、肩が上がっていませんか。

気持ちが上ずると、力みが生じて姿勢が乱れます。このとき、氣のテストで姿勢を確認してみると、バランスが悪いことが分かります。ここから、肩こりや腰痛が生じやすくなるのです。

今度は、心の面から振り返ってみましょう。

  • 緊張しているときに、ふわふわしたり、カーッとしませんか。
  • 作業をしているときに、頭に血がのぼる感じがありませんか。
  • イライラしているときに、意識が頭の方にいっていませんか。

上ずった状態だと、同じ音でもうるさく聞こえて、同じ言葉でも傷つきやすくなります。外から受ける刺激に対して過敏になるためです。ストレスやプレッシャーに弱くなります。

また、周囲のことが見えなくなるため、正しい判断が出来なくなります。


問題は「どうしたら上ずっている状態を解消できるか」です。

その具体的な対処法の一つが「全身リラックス運動」です。

気持ちが上ずっているのを、頭で命令しても静めることはできません。意識すればするほど、余計に上ずってしまうものです。全身の力を抜くことによって、上ずった状態をリセットできます。

方法は簡単です。まずは立ち姿の基本を確認し、バランスの取れた姿勢であることを確認します。次に、指先を出来る限り早く振るだけです。指先に付いた水滴を払うような感じで振ります。

身体のどこに力みがあっても早く振れませんが、全身の力を抜くことで早く振れます。手を振った振動が、自然と全身に伝わっていきます。

注意点として、つま先立ちをして踵を静かに下ろす、立ち姿の確認を必ず最初にしてください。

「リラックスした状態」は、バランスが良い状態で全身の力を抜くことで、上ずった状態がリセットされます。「虚脱した状態」はバランスが悪い状態で力を抜くことで、ダラッとした状態になります。

全身リラックス運動では、まずは足先に氣が通った基本姿勢を確認し、それから両手の指先を出来る限り早く振ります。

十分に力を抜くことができたら、1/21/21/2・・・と静止します。いきなりピタッと止まらないようにしましょう。また力が入ってしまいます。

たったこれだけのことで、上ずった状態がリセットされます。肩こりなどで辛いとき、夜にお休みになる前、イライラしやすいとき等、ぜひ日常生活に取り入れて頂きたいと思います。

上ずった状態をリセットする方法には、「息を吐く」こともあります。こちらは別の機会でお伝えいたします。

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2021/02/01

落ち着き

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ロサンゼルス・ドジャースから公式に依頼を頂き、2010年から3年間、若手最有望選手に現地のキャンプで「氣」の指導をしました。

世界中から野球の才能に溢れる若者をスカウトするわけですが、その中でも球団が最も期待をしているトップレベルの選手たちです。

そんな彼らの練習を日々見守っていると、ある共通点に氣がつきます。それは、一つ一つの動作を「事も無げ」にすることです。

投げるにしても打つにしても実に簡単そうで、素人の私でも出来るような錯覚を覚えます。勿論、そんなはずはありません。無理や無駄のない動きに派手さはなく、あまりに自然で落ち着いて見えたのでした。

表現や演出においては「派手に見せる」こともあるのかと思いますが、真の動きは対極にあることを現場で学びました。

アメリカのイエローストーン国立公園を訪れたときのことです。

川沿いをドライブしていると、川の側に「危険」の警告が出て来ます。しかし、川の流れは極めて静かで、とても危険だとは思えません。

危険の意味はすぐに分かりました。しばらく川沿いに下っていくと、何とそこには超巨大な滝があったのです。

一見すると静かにみえた水流は、実はたいへんな勢いを持っていて、その流れに巻き込まれたら助からない、という警告だったのです。

波や水しぶきが派手に立っている方が勢いがあるように見えますが、実はそうではなく、川底が浅かったり、岩があったりするためです。

落ち着いてみえる状態が大変な力を持っている一つの例であり、見た目だけで判断することはできない、ということです。

フランツ・リストが作曲したピアノ曲に「超絶技巧練習曲」があります。

文字通り超絶した技巧を必要として、通常のピアノ学習者のレベルでは、譜面を追うことだけで精一杯です。

技術が不足していると曲として成立せず、技術だけを追い求めてしまうと、派手なだけで落ち着きのない曲になってしまいます。

真のピアニストが演奏すると、恐ろしいほど多くの音があるにも関わらず、見事に調和して、落ち着いて聞こえるのです。

ケマル・ゲキチ氏が演奏する「超絶技巧練習曲」は、その一つでしょう。

技巧を究めたフランツ・リストが、基礎教育を重んじていたカール・ツェルニーに師事していたことも興味深いところです。

基礎があってこその技巧であり、無理や無駄が削ぎ落とされていく過程で、「落ち着き」を得るのだと私は考えています。

「落ち着き」と「緩慢」は似て非なるものです。始めから落ち着きを求めるのは誤りであり、緩慢になってしまうことでしょう。

心身統一合氣道の技も同じことがあります。

派手な動きには無理や無駄があるということであり、それらが削ぎ落とされていくと、激しい動きの中にも落ち着きが生まれます。

心身統一合氣道では木製の剣や杖(じょう)も用いて稽古します。剣や杖も同じで、無理や無駄がなくなって、自然な動きになればなるほど落ち着きが生まれます。

落ち着きのある動きには、実は、大変な力があります。反対に、落ち着きのない動きには力がありません。ましてや、緩慢な動きには、まったく力がありません。

「落ち着き」とは、本当に面白いものだと思います。

日々の稽古において、この視点でご自身や他の人の動きをみてみると、新たな発見があるかもしれません。


ちなみに、堀威夫さんは「落ち着き」を体現したような方です。

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2021/01/12

全国各地に稽古場を

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一都三県で緊急事態宣言が発令されました。報道によれば、今後、対象地域がさらに拡大すると言われています。

心身統一合氣道会では、「新型コロナウイルス感染拡大防止ガイドライン」に基づきまして、道場教室責任者の判断で稽古を実施します。

外出自粛要請に基づき、稽古の休止や時間帯の変更などが生じる可能性があります。皆様にはご理解をいただきたくお願いいたします。


昨年の緊急事態宣言では、全国の道場の活動を休止しました。

たいへんな危機感を覚えた私は、詳しい方からZoomの情報を入手し、さっそく、本部道場で50名規模のオンラインでの稽古を始めました。

その後、一つずつ新たな試みにチャレンジして、2ヶ月経った頃には、複数の道場で500名規模の稽古をできるようになりました。

当初は道場・教室で稽古できない代わりとして機能していましたが、道場・教室での稽古が再開されるにあたり、手応えがなくなりました。

オンラインの稽古が道場の稽古の代用であるならば、それは当然のことでした。そこで、「オンラインでもできる」から「オンラインだからできる」に、実施方法や稽古内容を見直すことにしました。

例えば、遠方から参加される皆さんは、交通費と移動時間をかけて稽古に参加なさっていました。オンラインであれば、その制約がまったくなく参加することができます。実際に、オンラインの稽古に参加される方は遠方の皆さんが多いです。

例えば、介護で時間を取れない皆さんが稽古に参加するためには、行き帰りの時間を含め、半日は確保しなければいけませんでした。オンラインであれば、端切れの時間でも活用することもできますし、オンデマンド配信を活用すれば自由な時間で学ぶことができます。

勿論、道場での稽古でなければ伝わらない内容もありますが、オンラインで伝わる内容は、オンラインに集約することによって、結果として、道場での稽古がさらに充実することも分かりました。

私たちは、「これまで続けてきたこと」を何の疑問もなく継続しますが、新型コロナウイルスの影響により、「なぜこれを行うのか」を熟考して、一から取り組むことがいかに重要かを学びました。これほどの世界的な危機でなければ、できなかったかもしれません。


先週末は、「心身統一合氣道会 鏡開き」をオンラインで実施しました。

緊急事態宣言が出されるなか、日本全国から500名の皆さんが参加し、さらに、アメリカ・ロシア・ヨーロッパ諸国・オーストラリア等から、主要な指導者80名がゲスト参加しました。

これも「オンラインだからできる」ことの一つです。自宅から参加する方も、道場に集まって中継形式で稽古する方もいました。

心身統一合氣道の稽古の目的は「氣を出す」ことであり、その目的の達成のため、オンラインが極めて重要な機会となりました。新型コロナウイルスの感染拡大している国で活動する指導者は、久しぶりに他の国々の指導者と交流できて氣が出たようです。

今年は1,000人規模のインターナショナルなイベントを企画しています。今回のオンラインでの鏡開きは、その試金石となりました。

近い将来、世界中から10,000人規模で集まるイベントを開催したいと思います。そして、新型コロナウイルスが収束した後、開催延期となっている「ワールドキャンプ」を日本で開催し、520畳ある天心館道場で共に稽古したいと思います。


新型コロナウイルスの影響により、氣を滞らせてしまう方が多くいます。氣が滞ると前向きに心を使うことができなくなります。こんな社会情勢だからこそ「氣を出す」ことが重要なのです。

心身統一合氣道の稽古で「氣を出す」ことによって氣の滞りは解消します。そこで、私は全国の主要な地域に新たに稽古場を設けることを決めました。日本のどこにいても、心身統一合氣道を稽古できる環境を整えて参ります。

専用の道場をつくるには、それなりの準備と期間を必要としますが、心身統一合氣道を稽古する「場」であれば機動性をもって増やせます。

実現するためには、現在の3倍の稽古場を必要とします(現在は350箇所)。特に、指導者の育成がもっとも重要です。オンラインの可能性を模索することによって、現実的なものになりました。現在ではオンライン指導者稽古を実施し、多くの指導者が参加しています。

5年間で達成することを目標としています。

海外に関しては24カ国に道場がありますが、国により新型コロナウイルスの影響が大きく異なり、状況を注視しながら、日本国内と同様に新たな稽古場を増やして参ります。海外の場合、オンラインがさらに重要な役割を果たすのは間違いありません。

皆様にはこれから宜しくお願い申し上げます。

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2020/12/01

《音声付き》道の普及

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今回は私自身の「決意」の話です。


緊急事態宣言が発令された4月に、オンラインでの稽古を始めました。

最初こそ、道場での稽古の代わりとして提供しましたが、道場での「感覚を伴う稽古」に勝るはずもありません。

しかしその後、試行錯誤するうちに、オンラインだからできること、もっと言えば、オンラインでなければできないことがあると氣がつきました。

それを体現すべく、秋のオンラインイベントの企画を立てました。

課題はたくさんあったことと思いますが、500名を超える参加者は、オンラインが持つ可能性をお感じになったようです。

私自身も確かな手応えを感じました。

オンラインで特に重要なのは、遠い地域からでも参加できることです。

講習会は首都圏や地方の大都市で開催しますので、コロナがなくても、遠い地域の方は、頻繁に参加することは難しい環境にあります。

オンラインを始めて、今までであれば年2回、指導者稽古に参加できていたところ、月2回、参加できるようになった指導者もいます。

心身統一合氣道を普及する上でのボトルネックは、指導者の数にあります。現在、日本全国で350名の指導者がいますが、指導者を育成するためには、現地まで行って指導するほかありませんでした。

それには膨大な時間と労力を要します。

勿論、今後もそれは変わりませんが、オンラインを併用することで、地域を選ばずに指導者の育成ができるようになります。

そこで私は、5年かけて全国の主要な市町村に新たに教室を開設し、日本全国どこにお住まいでも、心身統一合氣道の稽古をできるように、指導者の育成に取り組むことにいたしました。

そのためには、現在の三倍の1,000名の指導者が必要です。

海外についても、現在24カ国に心身統一合氣道の道場がありますが、5年かけて三倍に拡げていきたいと思います。

新型コロナウイルスという逆境に直面し、新たな方向を模索した結果、未来に向けて氣が通った感じがいたします。

心を決めましたので、これから実現して参ります。

心身統一合氣道会は、ソーシャルメディア利用ガイドラインを設け、SNSを用いた情報発信に積極的に取り組んで参ります。

その一環として、私の対談動画の一部も公開することになりました。

記念すべき最初の動画は、野球評論家の広岡達朗様です。

広岡さんは現在88歳、現役時代は読売ジャイアンツの名ショートとして活躍され、監督としてヤクルトスワローズ、西武ライオンズをそれぞれリーグ優勝・日本一に導かれました。

野球界における藤平光一先生の最大の理解者であり、心身統一合氣道の稽古もしっかりされました。

広岡さんというと「厳しい」イメージをお持ちかもしれません。

実際の広岡さんはよく笑い、物事に対して極めて柔軟で、常に好奇心を持って深く探求される方です。真の教育者であり、これまで多くの野球人を育ててこられました。

そんな広岡さんとの貴重な動画です。

YouTubeの心身統一合氣道会公式チャンネルでご覧頂けます。今後も続々と公開しますので、ぜひチャンネル登録をお願いいたします。

心身統一合氣道会公式チャンネル(YouTube)

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2020/11/01

《音声付き》リラックスの力

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「頑張る」という言葉があります。

「頑張る」には「どこまでも忍耐して努力する」という意味もありますが、本来は「我を張る」意味で用いられます。

頑張っているときは、力みが生じやすいものです。外から加わる力に対して、力みがあればあるほど影響を受けやすくなります。

藤平光一先生は「頑張ってはいけない」と、どうしたらリラックスできるかを具体的に教えました。


心身統一合氣道では、二人一組になってこのような稽古をします。

向かい合って、お互いに杖(じょう)という棒状の長い武器を構えます。そして、一人が相手の構えている杖を力いっぱい振り払います。

このとき、杖を構えている者に少しでも力みがあると、振り払われる力の影響を受けて、姿勢が乱れてしまいます。すると、もはや次の動きに対応することができません。

頑張っているとき、身構えているときは、特に乱されやすいものです。

それではどうしたら良いのでしょうか。

臍下の一点を確認し、盤石な姿勢であれば、どこにも力みのないリラックスした状態で杖を構えることができます。器に水を張ったとき、水面が無限小に静まっていく如く、心が静まっていきます。

このとき、杖を振り払われても、姿勢はまったく乱れなくなります。ゆえに、次の動きに対応することができます。

ちなみに、リラックスに似て非なるものに「虚脱状態」があります。リラックスした状態では積極的に身体の力を「抜く」のに対して、虚脱状態では身体の力が「抜けて」しまいます。

虚脱状態はもっとも弱く、何をするにおいてもまったく役に立ちません。リラックスした状態が最も強く、持っている力を存分に発揮できます。


心の面でも同じことがあります。

頑張っているときは、心にも力みが生じています。すると、外から受ける見えない力に対して影響を受けやすくなります。その代表的な例が「ストレス」でしょう。

頑張っている状態が、実はストレスを受ける要因の一つなのです。

自分の思い通りに物事が進まないときでも、リラックスして物事をありのままに捉えると、必要以上の影響を受けなくて済みます。

頑張ってしまって心に力みが生じているときは、影響を受けやすく、他人のちょっとした言動が氣になるときは正にこれでしょう。

ストレスに強くなるには、リラックスすることが「秘訣」なのです。

さらに言えば、「~しないように」という心の使い方をしているときは、かえって乱されやすくなるものです。

「氣にしないように」「失敗しないように」などたくさんありますね。

「怒らないように」とコントロールすると、余計に怒りが湧きます。「悲しくない」と自分に対して嘘をつくと、余計に悲しくなります。

人間なのですから、怒ったり、悲しんだり、感情は必ずあります。その瞬間に心に波が生じるのは当たり前です。しかし、次の瞬間には、その波が静まっていくのが自然の姿です。

波静まった水面に水滴が落ちれば、必ず波が生じます。その波は、時間と共に無限小に静まっていきます。生じた波がいつまでも静まらないとしたら、それこそ不自然です。

リラックスしているとき、心の波は自然に静まっていきます。

「~しないように」と自分の心を抑圧することを止め、リラックスした状態で、「さあ!いらっしゃい!」と正々堂々と物事と向かい合うときが、精神的にもっとも強い状態なのです。


企業研修やビジネスパーソン向けの講習では、力の抜き方を学び、持っている力を最大限に発揮することを訓練します。

それをきっかけに心身統一合氣道を始める方が少なくありません。

武道の稽古というと「厳しい」「辛い」「痛い」イメージですが、心身統一合氣道の稽古は、もっと前向きで楽しいものです。

関心をお持ちの方は、ぜひ一度、体験して頂きたいと思います。

 

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2020/10/01

《音声付き》点ではなく流れをみる

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藤平光一先生の内弟子時代、私が徹底して教えられたことの一つに「点ではなく流れをみる」があります。

地図は一部分だけでは意味を成さないように、全体があるからこそ、部分が意味を持ちます。

全体をみることで、物事を「点」ではなく「流れ」で捉えられます。

昨年、出版した新書で対談させて頂いた東京大学の西成活裕教授が、「流れ」について平易に説明して下さいました。

例えば、エスカレーターに乗るとき。

エスカレーターの一段一段を意識すると、流れが分からなくなり、いつも簡単に乗れているはずなのに、動作がぎこちなくなります。無意識のうちに流れをみているから、スムーズに乗れるわけです。

なるほど、日常生活でも、流れをみている場面がたくさんあります。

仕事の段取りにおいても「流れ」は重要です。

一つ一つの行動や判断を「点」でみていると、繋がりとして捉えられないので、「流れ」を理解することが出来ません。実際、段取りを苦手とする人は、「点」で捉えていることが多いようです。

内弟子時代は、仕事の段取りを立てることを通して訓練を受けました。

あるとき、栃木の本部施設にある不要な物を一度に破棄する機会があり、私が責任者となって段取りを立てることになりました。

総ての手順を書き出して、スムーズに進むように段取りしましたので、荷物を建物の外に運び出すところまでは極めて順調に進んでいました。自分の描いた通りに進んで悦に入っていました。

ところが、手違いにより回収業者が来ないことが判明したのです。天候も悪くなる予報で、荷物をそのまま外に放置することも出来ず、せっかく外に運び出した荷物を、建物の中に戻すことになりました。

回収業者の手配を他のスタッフにお願いしていたのですが、きれいに忘れられていたのでした。数人がかりで半日かけた作業が無駄になってしまったのです。

自分の中では「流れ」を描いたつもりが、実際には流れが途中で滞っていました。流れを確認する「ひと言」さえあれば防げたことです。

そんな私をみて藤平光一先生は、そんなことでは「てん」で話にならないと、にこやかに冗談を言われていました。

「自分のみえる範囲」、部分だけをみては機能しないことが、大事な教訓として私の心に深く残りました。これ以来、私は全体の流れをみることを徹底するようになりました。

このような失敗から学んでいくうちに、道場で教わっていることの意味が、肌で理解出来るようになりました。

技の稽古では、氣の動き、すなわち「流れ」をみることが不可欠です。

例えば、相手が拳で突いてくるとしましょう。

相手の手をみることは、相手の全体ではなく部分をみることです。すると、みえる範囲は狭くなり、氣の動きは分からなくなります。氣の動きが分からないと、相手の動きに遅れてしまいます。

相手の顔をみて、全身が視界に入っている状態でいれば、みえる範囲は広くなり、氣の動きが良く分かります。氣の動きが分かるからこそ、相手の動きに瞬時に対応出来るのです。

稽古で学んだことを日常生活で実感を得ることで、深い理解に繋がります。これこそ「生活の中の合氣道」です。

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2020/09/01

《音声付き》氣が入る

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氣が入っている対応、氣が入っている仕事、氣が入っている料理など、「氣が入る」という言葉をよく用います。

氣の働きの一つに「氣が入っているときに心が動く」があるからです。

贈り物をするとしましょう。相手に心から喜んで頂くためには、相手の状態を知ることが必要です。

お酒を召し上がらない方にお酒を送ってもいけませんし、お酒が好きなのに控えている方に送ったら、尚更いけないでしょう。

送り先がオフィスであれば、皆さんで簡単に分けられる物が良いでしょうし、ご家庭であれば、家族で楽しめる物が良いでしょう。

相手の立場に立ち、理解しようとすることによって、贈り物にも氣が入るのです。受け取る人は、その氣によって心が動くのです。


文書を作成するとしましょう。

「氣が入っている文書」と「氣が入っていない文書」があります。

「氣が入っている文書」では、読む人の立場に立って、どうしたら分かりやすくなるか、誤った理解が生じなくなるか、様々な工夫があります。

反対に、読む人のことを全く考えずに作成される文書もあります。それが「氣が入っていない文書」の代表例です。

先日、公共機関から通知を受け取りました。何回読み直しても意味が分からず、問い合わせをしてはじめて理解できました。

しかし、これは決して他人事ではありません。


指導においても同じことです。

「氣が入っている指導」と「氣が入っていない指導」があります。

伝える相手の理解度を知った上で、どうしたら相手に伝わるか、相手にとって受け取りやすいかを考え、相手の立場に立つことで「氣が入っている指導」になります。

自分の立場で伝えたいように伝えるだけでは、氣は入りません。言葉が流暢だからといって、氣が入るわけではありません。

一挙手一投足に氣が入るからこそ、氣が入っている指導になり、その氣によって、相手の心が動きます。


私自身、何事を行う上でも「氣が入る」ことを大切にしています。

心の使い方が雑になると、物事に氣が入らなくなってしまい、望む結果は得られなくなります。

時間の使い方を工夫し、段取りを組み、一つ一つのことに「氣が入っているか」を常に確認しています。

この視点を持つことで、日々の訓練をしています。

稽古においても、「氣が入っている技」でありたいわけですから、これは、日常における心身統一合氣道の稽古そのものなのです。

ご一緒に磨いて参りましょう。

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2020/08/03

《音声付き》受身の目的

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心身統一合氣道の稽古では、「心身統一合氣道の五原則」に基づき、相手の心を尊重して、導き投げることを学びます。

 心身統一合氣道の五原則

 一、氣が出ている
 二、相手の心を知る
 三、相手の氣を尊ぶ
 四、相手の立場に立つ
 五、率先窮行(そっせんきゅうこう)

例えば、すごく力の強い人がいて、力ずくで投げたとしましょう。相手が心の中で抵抗し、相手の心に遺恨が残るようであれば、「投げる」ことにはならないということです。

日常でいえば、権力を持った人がいて、命令したとしましょう。相手が心の中で抵抗し、嫌々、命令に従っているようであれば、「人を動かす」ことにはならないのと同じです。

相手の状態をみて、どこに向かおうとしているか理解した上で、その行き先を導くからこそ、人を動かすことになります。技も同じことで、これが相手を導き投げるということです。

そもそも、心身統一合氣道の稽古に「勝ち」「負け」はありません。投げた人が「勝ち」、投げられた人が「負け」ではありません。

「人を育てる」のに「勝ち」「負け」が存在しないのと同じで、導く者が「勝ち」、導かれる者が「負け」ではないからです。


心身統一合氣道の「受身」は、「自分の身を守る」ことを指します。受身とは、単に投げられて転がることではありません。

「受身」という言葉のイメージから受動的に捉える方が多いですが、受身とは本来、極めて能動的なものです。

私たちの人生がそうであるように、投げられた時点で終了ではなく、実際には、その後も続いているわけです。

投げられることによって姿勢(体勢)を崩してダメージを受けてしまうと、すぐに立ち上がることも、次に備えることも出来ません。特に、頭部を打ち付けてしまうと、生命に関わります。

ゆえに、受身が不可欠ということです。

心身統一合氣道の受身では、基本的に、畳を叩くこともしません。常に、身体が地面に滑らかに着くように受身を取ります。

極端な例ですが、アスファルトのような固い地面であっても、ダメージを最小限に、瞬時に次に備えられるように取ります。

つまり、受身とは、投げられて自分の身を守ることだけではなく、次の動きに備えることが目的なのです。


何年か前にプロボクサーを指導した際、受身に深く関心を持つ選手がいました。

この選手の話によれば、相手に打たれたダメージだけではなく、ダウンの際に、床に打ち付けられるダメージが大きいとのこと。二重のダメージによって、心が折れやすいと言っていました。

無意識の領域で出来るように、受身を身につけたいとのことでした。その後、この選手はしっかり稽古をして体得しました。

実はこれ、私たちの日常も同じことです。

失敗やトラブルが生じることで、ダウンを奪われることがあります。しかし、人生はそこで終わりではありません。そんなときこそ受身が必要であり、いかに立て直せるかが大切です。

心を能動的に用いて、瞬時に、次に備えられることも心の強さです。

しかし、姿勢(体勢)が乱れてしまうと、それが出来なくなります。

これは精神論ではなく、実際に身体を使って訓練することによって、はじめて体得できるものです。

心身統一合氣道を稽古している皆さんは、投げることだけではなく、正しい目的で、受身も磨いて頂きたいと思います。

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2020/07/01

《音声付き》心の向き

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私は大きな組織の長を務めています。

組織のようにたくさんの人が集まる場では、「心の向き」が重要です。人が集まるところには、必ず問題は生じます。性質の異なる人間が集まるわけですから、それは当たり前のことです。

組織において生じる問題を「失敗」として捉えてしまうと、「失敗をしないように」という内向きの心が組織全体に生じます。

すると、何一つチャレンジしていないにも関わらず、リスクばかりを考えるようになります。また、自分に責任が及ばないように、「誰の責任か」という責任追求に終始するようになります。

組織において生じる問題を、「失敗」ではなく「課題」として捉えれば、「課題を解決しよう」という外向きの心が組織全体に生じます。

すると、一人一人が安心して自らの責任を果たせるようになり、難しく思えることでも、積極的にチャレンジ出来るようになります。

結果として、組織そのものが大きく変わっていきます。

外向きの心で臨んでいたはずなのに、いつの間にか内向きの心になっている。これは頻繁に起こることで、現在のような不安定な社会情勢だと尚さらでしょう。

ゆえに、何よりも長である私自身の心の向きに氣をつけています。


人前に出るときにも、心の向きは重要です。

人前で話をするとき、「緊張して上手く出来ない」という相談を受けます。人の視線が氣になってしまうことが大きな原因です。

ここで「見ているとき」と「見られているとき」の違いを考えてみましょう。

見ているときは、相手がどんな表情をしているか、どんな特徴があるか、相手のことに心が向いています。外向きの心の状態です。

見られているときは、自分がどう思われているか、どう評価されているか、自分のことばかりに心が向いています。内向きの心の状態です。

面白いことに、「見ている」ときは「見られている」ことが氣になりません。反対に、「見られている」ときは「見る」ことが出来なくなります。

これは、心の向きが同時に「外向き」「内向き」になることはないため、心が外向きに働いているときは、内向きには働かないからです。

つまり、「見られる」ことで緊張してしまう人でも、「見る」ことを訓練すれば、持っている力を発揮出来るようになるということです。

子供の頃、極度に緊張しやすかった私も、この訓練によって乗り越えることが出来ました。

私は、講演などで多いときには数千人の前に立つことがあります。そんなときは、壇上に上がる前に聴衆全体を見渡して、「見る」ことを通じて、心が外向きになっているかを確認しています。

「男性と女性の比率はどのくらいかな」「どのような年代の皆さんが集まっているのかな」「一人一人どのような表情をしているかな」など、聴衆に心を積極的に向けています。

内向きの心であれば、多くの人の視線を一氣に受けることになりますが、外向きの心であれば、聴衆が何人いようと関係ありません。

ちなみに、「見られることで磨かれる」ということがあります。この場合は、「他の人の視線があるという前提で日常を送る」ことを指すものであり、今回のテーマである「心の向き」とは異なる話です。


心には向きがある。

「外向きの心」と「内向きの心」がある。内向きの心をなくすことは難しいが、外向きの心を訓練することで、内向きの心は自然になくなる。

心身統一合氣道の稽古を通じて、私自身も日々、訓練をしています。

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2020/06/01

《音声付き》稽古の「質」と「量」

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全国の緊急事態宣言が解除されました。

自粛期間だからこそ出来ることを探そうと、この2ヶ月間、本部道場ではZoomを用いたオンラインでの稽古を進めて来ました。

4月始めには50名で始めた稽古も、一回ごとに様々な知見を得ながら、5月末日の稽古では500名の皆さんが参加するまでになりました。道場の稽古であれば、一度にこの人数が集まることはありません。

全国の道場・教室と合同で稽古すれば、さらに多くの皆さんと一緒に稽古が出来ます。英語で指導したり、字幕を使ったりすれば、国を超えて一緒に稽古が出来るでしょう。

近い将来、1万人規模の稽古を出来ないかと心に描いています。


心身統一合氣道の稽古では、基本的な姿勢や臍下の一点を確認した後に、「独り技」「組み技」「続き技」の順番で稽古します。

「独り技」では、独りで動いて統一体を保ちます。「組み技」では、相手がいる状態で動いて統一体を保ちます。「続き技」では、相手がいる状態で連続して動いて統一体を保ちます。

統一体とは、「心身統一した状態(氣が出ている状態)」を指します。統一体のとき、持っている力を存分に発揮することが出来ます。「独り技」「組み技」「続き技」を通じて統一体を体得するのです。

ちなみに、「体(たい)」とは「身体」ではなく、「本来の姿」を意味します。つまり、統一体とは「氣が出ている本来の姿」ということです。


稽古においては、「質」と「量」の両方が求められます。

「質なき量」の稽古だと、不自然な動きを繰り返しすことで悪い習慣がつき、怪我や故障の元になります。

「量なき質」の稽古だと、自然な動きを学んでも頭だけの理解であり、練らないために身につきません。

稽古の「質」と「量」は一体である、ということです。

一定の量を行ってみると、不自然な動きは身体の「違和感」として表れます。痛み、固さ、疲れなどを通じて、身体が教えてくれるのです。

その違和感が何から生じるのかを学び、また一定の量を行います。そうするうちに自然な動きに近づいて行き、違和感は少なくなっていきます。こうして「学び」「練る」ことを繰り返します。

無理な量を行えば身体を壊します。指導者の指示の元で適切な量を行うことが大切です。今の社会情勢でいえば、マスクを着用した運動には熱中症の危険があるので、特に注意が必要です。


オンラインの稽古では「独り技」が主体でしたので、結果として、道場での稽古よりも基礎にしっかり取り組むことが出来ました。道場の稽古に戻ったときに、上達を実感する人も多いのではないかと思います。

今後も、道場での稽古を基本に、オンラインでの稽古も活用していきながら、様々な可能性を見出して行きたいと思います。

困難な状況だからこそ、工夫によって大きく進むことがあるようです。

《音声はこちら》

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