2024/02/01

学ぶ感度

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新しく出版する書籍の企画で、自分の内弟子時代を振り返る機会がありました。私にとって、あの時間はいったい何であったのか。

通常は5年から10年かけてする内弟子修行を、私の場合は3年でした。

私は継承者を目指していたので本当に務まるか早期に見極めをつけること、幼少の頃から学んでいたのでスタートラインが早かったこと、師匠の藤平光一先生がすでに70代後半であったことが理由でした。

しかし、最初の年は稽古の時間数よりも、圧倒的に掃除の時間数が長く、ただでさえ修行の年限が3年しかないので、私はかなり焦っていました。「掃除なんてしていて良いのか」と考えたのです。

私が発している氣が、おそらく藤平光一先生に伝わったのでしょう。あるとき呼び出されて、こんなことを言われました。

「嫌々、掃除をしているようだが、お前は一度たりとも、儂がなぜ掃除ばかりさせているのか、考えたことはあるのか?」

あるはずがありません。ないからこそ、不満で一杯だったのです。

そうか目的があったのか。だとすると、何のためにしているのか。嫌々やったら何も分かりませんので、稽古に臨むのと同じように、掃除にも主体的に取り組んでみることにしました。


最初に氣がついたのは、自分の仕事には「波」があることでした。毎日、同じように取り組んでいるつもりでも、バラツキがある。

調子が良いときは隅々まで綺麗にしますが、気分が乗らないときは、おざなりになっていることを自覚しました。自分では同じ状態のつもりでも、無自覚で変化していたのです。

それではいけないと思い直し、調子の良いときも、そうでないときも、常に同じように掃除することを心がけるようになりました。

そうするうちに、何と驚くことに、技の再現性が高くなったのです。それまでは技で上手くいったり、いかなかったりがありましたが、それが自分の状態の変化に起因するものだとは分からなかったのです。

自分の状態の変化に氣がつくことの重要性を身体で理解できました。


内弟子修行も後半になり、いろいろなことが出来るようになって来ます。あるとき、次の予定があって急いでいた私は、「まあ、このくらいは」と、いつもしている掃除で、少しだけ手を抜きました。

しかし、そのことに誰も氣がつかないようでした。そして翌日も、「まあ、このくらいは」とさらに少し手を抜きました。それを繰り返すうちに、一週間して掃除はかなり雑になっていました。

そして、藤平光一先生に呼び出されたのでした。

「お前、儂が氣づいていないと思っているのか」

掃除のことだとは分かりましたが、待っていたのは意外な言葉でした。

「一週間くらい前から手を抜き始めたな。お前は少し手を抜いたつもりだろうが、それは妥協の始まりだ。小さな妥協でも、ひとたびすれば、それは必ず次の妥協になる。自覚したときは既に手遅れだ。それを防げるのは、お前だけなのだよ」

初心では常に同じように掃除しようと思っていたのに、時が経っていつの間にか「まあ、このくらいは」と妥協するようになっていたのです。

一週間前には氣づいていて、見守られていたことにも驚きました。師匠の本氣と愛情を感じ、自分を磨く上で小さな妥協もしないことを心に誓いました。それが私の人生における基本姿勢となりました。


たかが掃除、されど掃除。以上は、どちらも掃除の話です。

学ぶ感度を高く行っていると、掃除から学ぶことがたくさんあります。「掃除をやって何になるのか」などと感じるときは危険信号なのです。

同じ時間・空間で、同じことをしているのに、ある人は多くを得て、ある人は何も得ないことがよくあります。

学ぶ感度が高ければ、見るもの、触れるもの総てが学びになります。すると、幼子からも学ぶことはたくさんあるのです。

内弟子修行とはいったい何であったのか。

それは、「一生、学び続けていく」上での基本を習得するための大事な期間であり、3年という限られた年限の最初に、学ぶ感度を高めることを徹底的に訓練していたのです。

あれから25年が経ちました。これからも学ぶ感度を磨いていきます。

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2024/01/09

本氣だから伝わる

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通常、仕事には相手が存在しているので「期限」があります。

チームワークにおいて期限は重要であり、一人でも「守らなくてもいい」という人がいると、全体の流れが停滞するだけでなく、安心して仕事を進めることができなくなります。

日本において「車道は左側通行がルール」なのと同じで、一人でも「右側通行でもいい」という人がいたら、道路は機能せず、安心して車を運転することができなくなります。

信頼関係がなければ、仕事も、社会も成立しません。


私は内弟子時代、あるとき大事な期限を守れなかったことがあります。

勿論、期限をどうでも良いと考えていたわけではなく、不測の事態が生じてしまって、どうしても間に合わなかったのです。

先方へ丁重に謝罪した上で、間に合わなかった理由も説明しました。しかし、本当のところ、私は「仕方なかった」と考えていました。

その話が耳に入ったのでしょう。藤平光一先生が私を呼びました。

 「どうした。期限を守らなかったのか」

期限を守る意思はあったことを含めて、事情を説明しました。お叱りを受けることを覚悟していましたが、待っていたのは意外な言葉でした。

「そうか。お前は期限を守る氣がなかったのだね」

いま釈明したばかりで、致し方ない理由で間に合わなかっただけです。

自分が悪いのは間違いないですが、「守る氣がなかった」と言われて、腹落ちできずにいました。

藤平光一先生はさらに続けます。

「お前は期限を守るつもりでも、期限ギリギリに進めていた。だから、もし具合が悪くなって寝込んだら、期限は守れなくなる。不測の事態が生じても間に合うようにする氣がなかったのだね」

なるほど、自分なりに一生懸命やっていたつもりでしたが、確かにその氣は全くありませんでした。

「何があっても必ず守ろう」という氣が動くから本氣が伝わるわけで、それまでの私の本氣度では、本当のところの信頼は得られなそうです。

ひとまず頭では理解したので、まずは行動を改めて、不測の事態が生じても間に合うように工夫しました。


これによって助けられたことがありました。

あるとき、若手指導者の自分に指導する機会を頂けるかもしれず、先方の会社を訪問し、代表の方とお話しすることになりました。

その日は冬の寒い日で、今にも雪が降り出しそうな天候でした。

公共交通機関が乱れて万一にも約束の時間に遅れてはいけないので、1時間前に到着し、会社近くのカフェで時間調整をしていました。

約束の時間の少し前に会社に到着すると、すでに代表の方が待っておられて、ひと言。「ぜひ、先生に会社の研修をお願いいたします」と。

驚いた私は、失礼を承知で、なぜ即決されるのかお尋ねしました。

代表の方は、外出から戻る際に近隣で待機している私の姿を見たそうで、「必ず約束を守ろう」とする姿をみて信頼されたとのことでした。

そういう姿勢の人であれば、会社のことも大事に考えてくれる、と。

このとき初めて、藤平光一先生がルールの話をしていたのではなく、「必ず守ろう」とする本氣の話をしていたことが腹落ちできました。

この代表の方とは、25年経った現在でもお付き合いが続いています。


何ごとも本氣だから伝わります。本氣の一年を過ごしたいと思います。

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2023/12/01

幸せは人それぞれ

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あなたは、何をしているときが幸せですか。

目標を達成できたとき。欲しいものが手に入ったとき。美味しいものを食べているとき。仕事終わりの一杯。

こういったときは、確かに幸福感に満ちているかもしれません。

しかし、もし特別なことがなければ幸せでないのだとしたら、幸せではない時間の方が長いことになります。

藤平光一先生は「何もしなくても感じる幸せ」を大事に説きました。

安全に生きられる環境に恵まれて、心身ともに健やかであれば、それだけで最高に幸せなことです。

そういったことが当たり前になると、幸せであることに慣れて、何も感じなくなってしまいます。感謝の念も持てなくなります。

幸せは、なくしてから氣づくことも少なくありません。


心身統一合氣道の道場では、稽古の最初に必ず正面に礼をします。

いまこうして稽古ができるということは、心身共に健やかで、経済的にも時間的にも許されているわけです。

稽古できることを、天地自然に感謝しているわけです。

次に、稽古をする相手とお互いに礼をします。

相手がいてくれるからこそ、技の稽古をすることができます。稽古できることを、相手にも感謝しているわけです。

「幸せを感じる」ことと「感謝する」ことは繋がっています。

形だけの感謝の言葉や行動には、実体がありません。したがって、日々の稽古の礼も実(じつ)がなければいけません。

「何もしていなくても感じる幸せ」は、とても大事なのです。


幸せを感じなくなる原因の一つが「他者と比較する」ことです。

幸せは人それぞれのはずなのに、誰かと比較することによって、幸せを感じられなくなるのです。

先日、一緒に仕事をしている方のお招きで会食をしました。

隣のテーブルで食事していたご家族がいました。聞くつもりはありませんが、父親の声が大きいので耳に入ってきます。

「あの店の方が美味しい」「あの店よりサービスが劣っている」と、総てにおいて、他のお店と比較をしていました。

せっかくの家族との食事なのに、何だかぎすぎすとした雰囲気でした。一緒にいるお子さんも、しょんぼりとして見えました。

勿論、美味しい・美味しくない、好みに合う・合わないはあります。

しかし、どんな料理やサービスであっても、常に比較をしていたら、今、この瞬間を感じることができなくなります。


インターネットが普及して、「比較する」ことがしやすくなりました。

比較すること自体が悪いわけではありませんが、SNSが普及したことで、他者が発信する幸せに、頻繁に触れるようになりました。

そして、自分の幸せと比較することが多くなりました。他者と幸せを比較した瞬間、その幸せはなくなってしまいます。

繋がりによって氣が出るどころか、氣が滞って悪循環に陥ります。SNSは便利ですが、使い方には注意が必要です。

氣の滞りを防ぐには、他者の幸せと比較しないこと。すると、日々の生活で、実にたわいもないことが幸せに感じます。

幸せは人それぞれなのですから。

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2023/11/01

何かしようとしない時間

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アフリカを旅する日本人旅行者が、空を見上げる男性を見つけました。

旅行者は男性に挨拶し、自分が日本からはるばる来たことを伝えて、「何か面白いものが見えますか」と男性に尋ねました。

男性はひと言「日本では、面白いものがないと空を見上げないのか」。


なるほど、日本では何をするにも、たいていは「目的」があります。タイムパフォーマンスを考え、少ない時間で多くの成果を求めます。

一日に何十回、あるいは何百回とスマートフォンをチェックする現代。

ただ空を見上げて、天地自然の運行を感じる時間を設けるような人は、決して多くはないでしょう。

天地自然を感じられる時間を全く取れないと、繋がりが感じられず、「自分も天地自然の一部である」という事実を忘れてしまいます。

すると、孤独感が強くなって、漠然とした不安を覚えるのです。

自然豊かな環境にいるから天地自然を感じている、とは限りません。考え事で頭がいっぱいになったり、放心状態になったりすると、どんな環境にあっても感じられないものです。

様々な研究結果がスマートフォンへの依存が脳に与える悪影響を示し、生活の質(QOL)を低下させる危険性も指摘されています。

元々、私は稽古の時間や指導している時間はスマートフォンを使用できませんが、日常生活でも持たない時間を意識的に設けています。

ただ空を見上げるアフリカの男性と同じような時間を持つようにしています。私にとって、コンディションの維持に大切な時間なのです。


心が一つのことにとらわれることを「執着」といいます。

ひとたび執着すると、心は自在に働かなくなって動けなくなります。心が不自由になってしまうのです。

一緒に食事するときにスマートフォンに心がとらわれてしまうと、美味しさも半減し、楽しさも半減します。

心の働きが鈍くなると感動も、感謝も感じにくくなるのです。これは本当に恐ろしいことです。

あなたは、いったい「何に」とらわれやすいでしょうか。

ギュッと掴んで放せなくなっているときこそ、いったん手放して、天地自然を感じる時間をつくることが大切です。

たとえば、氣の呼吸法は、そのための時間です。

呼吸が静まることで、天地自然との繋がりを実感をもって思い出し、固まって動けなくなっている心が、また元通りに働き始めます。

勿論、氣の呼吸法のやり方にとらわれたら、元も子もありません。ただ、心地良く呼吸していれば良いのです。

一日のなかで、「何かしようとしない時間」を設けてみませんか。時間は人それぞれ、長くても短くても構いません。

天地自然との繋がりを実感できれば、心が自由になります。

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2023/10/01

相対化

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「相対化」という言葉があります。一つだけではなく、他との関係において物事を理解することを指します。

あるいは、同じ対象でも「近づいて見る」「離れて見る」など、立ち位置を変えることも相対化の一つです。

私は7歳の頃からピアノを始めて、18歳になるまでの約10年間、レッスンを受けるために、毎週、先生のご自宅に通っていました。

自分から「ピアノをやりたい」と親に頼んだことは覚えていますが、心身統一合氣道の家に生まれて、なぜ、ピアノに関心を持ったのか、今となっては全く覚えていません。

私の先生は、オーケストラと共演をされるような音楽家で、当時、藤平光一先生から「氣」を学んでいらっしゃいました。

先生のところには、どうやら良家の子女が多く通っていたようで、他の子供たちが「先生、ごきげんよう」と挨拶をしているなかで、私だけが「先生、さようなら!」と言っていたのを覚えています。

私は不良生徒でしたから、先生にずいぶんとご迷惑をかけましたが、多感な時期に教えて頂いたことが、今に活きています。


学校の帰りが遅くなり、遅刻しそうになってレッスンに慌てて行くことがあります。その心の状態では、先生はピアノに触れることを許しません。心が静まってからでないと弾かせてもらえないのです。

あるときなど、レッスンの時間内に心が静まらなかったようで、ピアノに触れることなく帰ったこともあります。

心が乱れていると言われても、最初は何のことやらでしたが、これを繰り返すうちに、「心が静まる」とはどういう状態か、次第に身体で分かるようになりました。

心の状態によって、ピアノの音色は明らかに変化します。特に、心が乱れているときは自分の音を聴くことができないため、独りよがりの演奏になってしまうのです。

この辺りは、心身統一合氣道の稽古と完全に一致しています。

心が静まっているから、氣の動きが良く分かる。氣の動きが分かるから、それを尊重して導き投げることができる。心が乱れていると、独りよがりの技になります。

ピアノや合氣道に限らず、何か始める前に「心を静める」ことが、持っている力を発揮する上で極めて重要であるわけですが、これを学んだのは、ピアノのレッスンだったのです。


一つの音の終わりは、次の音の始まりであることも学びました。

たとえ無音の状態であっても、音楽が途切れているわけではなく、音がない時間も音楽の一部です。音符がないからと、そこで氣が切れてはいけないということです。

いわゆる「間(ま)」の感覚は、ピアノのレッスンで学びました。

私には一つの音の終わりに、氣が切れてしまう癖がありました。音を通じて、「氣が切れている」ことを何度も指摘されるのですが、始めは何のことやら、意味が全く理解できませんでした。

しかし、「氣が切れている瞬間」に繰り返し指摘を受けるうちに、氣が切れるとはどういう状態なのか、身体で分かるようになりました。結果として、「氣を切らない」ことも理解できました。

音楽は勿論のこと、スピーチをするにも、合氣道の技においても周囲との繋がりに基づいて、適切な「間」というものが生まれます。氣が切れてしまうと、適切な間が分からなくなってしまうのです。

心身統一合氣道でいえば、一つの動きの終わりは次の動きの始まり、一つの技の終わりは次の技の始まり、氣が切れる瞬間はありません。動いている瞬間だけでなく、動いていない瞬間も大事なのです。


このように、ピアノという異なる分野を学んだことによって、心身統一合氣道の理解が深まりました。これは不思議なことではありません。

「氣」の学びは総ての土台であり、大事なことは根底で繋がっています。他の分野で相対化することで、より深く理解することができます。

これは「異なるものを混ぜる」という意味ではありません。

塩素系洗浄剤の注意書きに「まぜるな危険!」とあります。この表示ではありませんが、異なる考え方・やり方を混ぜることで、物事を身につける上で阻害になることがよくあります。

「氣」の観点を持てば、物事に共通する本質が分かるようになるので、様々なものに触れても混ざらず、相対化ができるのです。

ゆえに、様々な分野の方が心身統一合氣道の「氣」を学んでいます。

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2023/09/01

心身統一道とは

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心身統一合氣道とは、「心身統一道」を土台とした合氣道です。

心身統一道は、人間が本来持っている力を最大限に発揮するために、心と身体を磨くことを目的としています。

スポーツ・芸術・ビジネスなど、様々な分野で私は指導していますが、その皆さんに、心身統一合氣道の技を教えているのではありません。心身統一合氣道の根幹である「心身統一道」をお伝えしています。

K-1スーパーライト級現チャンピオンの大和哲也選手もその一人です。合氣道の技がそのまま格闘技で活きるというよりも、大事な場面でしっかり力を発揮できるように、大和選手は鍛錬をしています。

どの分野においても、持っている力を発揮できることが最重要です。どれだけ能力が高くても、技術を持っていても、いざというときに、力を発揮できなければ意味がありません。

そのため、多くの人が心身統一道を求め、日々、稽古をしています。

心身統一とは「天地と一体である(氣が出ている)」ことを指します(心と体が一つであることは「心身統一」ではなく、「心身一如」と言います)。

心身統一した状態を「統一体(とういつたい)」と言います。統一体で物事を行うことにより、持っている力を発揮できます(統一体の詳細に関してはは過去の記事をご参照ください)。

心身統一道では、様々ことを学びます。

統一体による呼吸が「氣の呼吸法」
統一体による瞑想が「氣の意志法」
統一体で行う運動が「氣の体操法」
統一体で行う手当てが「氣圧法」

特別なメソッドとして理解されやすいのですが、そうではありません。

氣の呼吸法を例に説明すれば、狭義における「氣の呼吸法」はやり方を指すことがありますが、広義における「氣の呼吸法」とは、統一体で行う呼吸全般を指します。

統一体で行えば、普段の呼吸も、発声の呼吸も、すべて氣の呼吸法なのです。つまり、統一体であることが重要で、人間が本来持っている力が発揮できれば、いつでも誰でも出来るものです。

そもそも「氣の呼吸法」は、統一体で心地良く呼吸するだけなのです。藤平光一先生は広義を教えましたが、それを狭義で捉えてしまうと本当のところが会得できなくなります。

先月には「夏のオンライン特別講座(心身統一道 集中特訓)」を実施して、本来の(広義における)心身統一道をお伝えしました。


心身統一道の稽古の特徴の一つは、年齢やジェンダーに関係なく、どなたにもできることです。

学生の頃に心身統一合氣道を一生懸命に稽古し、社会人になったり、家庭を持ったりして忙しくなると、稽古を続けるのは難しいようです。

しかし、何かのきっかけで思い出して、再び稽古を始めたいという人が、年々増えて来ています。

お子さんと一緒に始めたり、仕事を引退してから再開をしたり、理由も環境もそれぞれですが、皆さん、活き活きと活動なさっています。

稽古を再開した感想をお尋ねすると、学生の頃はとにかく合氣道の稽古に励み、心身統一道の意義を深く考える機会がなく、人生経験を積んで「氣を出す」ことがいかに重要か理解した、と言われます。

人生には色々なことがあります。ときに、逆境に直面することもあります。そんなときこそ、道場の稽古で身につけた「氣を出す」ことが役立ち、また稽古をしてみたい、という思いにさせるのかもしれません。

中には、セカンドキャリアで指導者を目指して学び始める人もいます。会社を退職し、時間が出来たら教室を開くことを目指しています。

心身統一道の活動は年齢には全く関係がありませんので、人生100年時代に、生涯にわたって人や社会に役立つことができます。

202310月から、心身統一合氣道会の本部道場(東京)において、「心身統一道」に特化した新しいクラスを実施いたします。

合氣道の稽古は無理、と諦めている皆さんにも心からお薦めします。この機会に、ぜひ心身統一合氣道会で稽古を始めてみませんか。

すでに稽古をされているいる会員の皆さんで心身統一道の理解をさらに深めたい方は、ゲスト参加の仕組みでぜひ参加されませんか。

お問い合わせは、心身統一合氣道会 本部事務局にて承ります。

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2023/08/01

「伝える」とは何か

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内弟子時代に鍛えられたことの一つが「伝える」ことです。

「伝える」とは何か。

ひと言で表現すれば、伝えるとは「伝わる」ことです。

いくら自分がしっかり伝えたつもりでも、相手に伝わっていなければ、伝えたことにはならない、という原則です。

当時は週に1回、栃木にある天心館道場(520畳の大道場)で藤平光一先生の稽古がありました。稽古の前半を内弟子が担当するのです。

自分が見ている元で指導をさせて、評価するのではなく、内弟子の指導自体は藤平光一先生は全く見ません。前半が終わる頃に来られて、生徒にこのように尋ねます。

「皆さん、前半の指導は理解できましたか?」

生徒さんも大人ですから、分からないところがあっても、「良く分かりました」と答えてくださいます。すると、藤平光一先生はさらにこのように言うのです。

「それは良かった。では、私の前でやってみせてください」

「分かる」ということは「できる」ということ。実際にできるようになっていなければ、分かったとは言えません。実際に生徒さんがやってみると、できていないことが多いのです。

すると、藤平光一先生は担当した内弟子に優しくこう諭します。

「これでは、伝えたことにはならないのだよ」

私自身も繰り返し挑戦をしましたが、丁寧に伝えているつもりが、実際は伝わっていない現実を目の当たりにして、驚愕しました。

「伝わる」という基準においては、私は伝えていなかったのです。

どうしたら伝わるかをトライアル&エラーで積み重ねていくうちに、私の指導は次第に「伝わる」ようになっていきました。そして、他の指導現場でも常に同じ姿勢で臨むようになりました。

この訓練のお陰で、現在の指導者としての基礎ができました。


藤平光一先生は、仕事や日常でも同じ姿勢が重要だと説きました。

例えば、上司が部下に仕事の指示をしたとします。上司が望む結果が得られないと、たいていの上司は部下を責めます。「ちゃんと伝えてあったでしょう?」と。

望む結果が得られないということは、指示が伝わっていないということ。「伝える側に原因がある」と捉えることが大事です。「伝わらない責任を相手に求めない」という姿勢です。

「どうしたら相手が正しく理解できるか」を工夫することによって、伝え方はどんどん磨かれていきます。

もう一つ重要なことは、相手の発している「氣」をみることです。

忙しくしていて上の空の返事をしていたり、思い込みがあったり、こちらが伝えたいことを相手が正しく理解できていないときには、理解していない氣を発しているものです。

それを正しくキャッチできれば、重要な情報は繰り返し伝えたり、相手に復唱を求めたり、何らかの対応ができるはずです。

お店においても、同じ訓練ができます。

こちらが注文したものと、異なるものが出て来てくることがあります。このとき、店員さんのミスを責めてはいけません。

相手が正しく理解していないときは、何らかのサインを発していたはず。それを見逃したことが伝わらない原因なのです。

正しく伝わる結果を伝え手の責任と置くことによって、正しく伝えるための工夫が生まれ、伝え方は確実に向上していきます。

ぜひご一緒に磨いてみませんか。

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2023/07/01

1ミリずつのズレ

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若手指導者の育成で、私は必ず「1ミリずつのズレ」の話をします。

いちどに1メートルくらいズレたら、誰でも氣がつくことでしょう。しかし、1ミリずつのズレを認識することは、とても難しいものです。

そして、氣づいたときには、取り返しのつかないズレになっています。

始めはしっかり守っていたことが、「まあ、このくらいは」と妥協し、一つの妥協が次の妥協に繋がって、いつの間にか妥協が当たり前になる。

私自身を振り返ると、内弟子時代の清掃がそうでした。

当初は隅々まで丁寧に掃除していましたが、あるとき時間がなかったことから、「まあ、このくらいでも良いか」と少しだけ手を抜きました。

すると、次も「このくらいで良いか」になり、許容範囲を自ら広げていき、氣がついたときには、ずさんな清掃をするようになっていました。

そんな私を見て、藤平光一先生は懇懇と「1ミリずつのズレ」の話をしました。後に、それが様々なことに根底で繋がっていることを学びました。


例をあげれば、「分かったという思い込み」があります。

人間はひとたび理解したと思い込むと、それ以上、学ばなくなります。すると思い込みに氣がつかず、それが小さなズレになります。

思い込みを持った状態で次のことに触れるので、ズレは大きくなって、それが積み重なることで、とんでもなく誤った理解になります。

このズレを防ぐ最良の方法は、毎回、確認をすることです。特に「自分が理解していると思うこと」にこそ、確認が必要なのです。

私自身は「理解できた」という状態は錯覚に似ていると考えています。

理解できることは「快」なので人はそこを求めますが、それはゴールでなく、スタートラインであることを忘れてはいけません。

私は指導者を育成する立場にあるので、私に生じる1ミリのズレは、多くの人に影響を与えることになります。

このズレを防ぐことが、私にとって大事な責任なのです。


別の例をあげれば、「指導者のマインド」があります。

始めは誰もが「自分などが指導者になって良いのだろうか」と考えて、「自分にできる精一杯のことをして役に立ちたい」と初心を持ちます。

それが、「先生」と呼ばれて、立てられるうちに偉くなってしまうのです。

そもそも心身統一合氣道における「道」とは上下関係ではありません。

同じ道を歩む者として、「先に歩みを進める者」は「これから歩みを進める者」を助けます。お互いが敬意をもって学び合う関係にあります。

それが1ミリずつズレて、いつの間にか上下関係と勘違いして、指導者は自分中心(優位)のマインドに陥ります。

この深刻なズレは、「学び続ける」ことによって防ぐことができます。

教える立場からいったん離れて、学ぶ立場に戻ることで、日頃の自分を客観的に振り返ることができます。また、他の指導者と交流することで氣がつくこともたくさんあります。

教える時間が増えると、学ぶ時間は相対的に少なくなるため、自分から意識して学ぶ環境を持たない限りは1ミリずつズレていき、教えるばかりで全く学ばない指導者になります。

藤平光一先生はこれを厳しく戒め、教える立場にある者こそ、誰よりも学ぶことが必須であることを説きました。

ゆえに、心身統一合氣道会の指導資格は一年ごとに更新する仕組みで、段位やキャリアに関係なく学び続ける者だけが維持できます。


「1ミリずつのズレ」は、個々の人間性や能力の問題ではなく、人は誰にでも共通して起こりうるものです。

私は心身統一合氣道会の会長であり、「会長」として扱われることで、何もしなければ、同じようにズレていきます。

内弟子時代を思い出して、私自身も日々確認し、学び続けています。

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2023/06/01

より広く、より深く

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2020年からNetflixで配信されている韓国ドラマ「愛の不時着」、すでにご覧になった方も多いことでしょう。

このドラマは韓国の国内のテレビチャンネルでも放送されましたが、世界に向けて発信する前提で制作されました。

そのため、国内の目先の視聴率や評価を過度に気にかけることなく、世界に通じる作品を目指し、時間と予算をかけて作られたそうです。

異なる言葉や文化で通じるものこそ真のエンターテインメントであり、世界190カ国に配信されて人気を得ていることが、その実証です。

この制作スタジオでは、世界に向けてドラマを制作し続けています。


心身統一合氣道においても、言葉・文化・宗教を超えて伝わってこそ、真の内容だと捉えています。

限られた対象者だけに伝えて、理解されることを目指すのだとしたら、決して最高のものにはなりません。

この視点で、常に私は自身の指導内容や技能を磨いています。

先日は、アメリカのミシガン大学のMBAコースの学生に指導しました(ブログ記事はこちら)。

私が師範を務める慶應義塾體育會合氣道部の卒業生が同校に進学し、同級生を母国に案内するプログラムを担うことになりました。

卒業生たっての希望で、この一環で私が指導することになりました。

当然のことながら、「合氣道」を知らない学生が多くいるわけです。合氣道で用いる固有名詞は全く通じませんし、そもそも英語での指導です。本質的な内容でなければ伝わりません。

勿論、日本文化に触れるというだけでも一定の価値はあるのですが、学生たちが腹落ちするように伝わるかで指導の真価が問われます。

共通するのは、「体験」こそ、最も伝わる手段であることです。

講習では「自然な姿勢(統一体)」「臍下の一点」「日常生活の動作への活用」を、直に相手して一人一人に体験して頂きました。

学生たちは驚きの声をあげ、その高い理解力に私も驚きました。

臍下の一点に心が静まっている状態から生じる動作はぶつからない。

ビジネスにおいて、特に、リーダーシップやコミュニケーションで、「心を静める」ことが重要であることを瞬時に理解していました。

プログラムが総て無事に終わった後に、面白い話を耳にしました。講習の翌日、観光で行った屋形船の中で腕相撲大会をしたそうです。

優勝した学生は、相手を負かすというマインドではパフォーマンスを発揮できないので、心を静め相手を理解することを徹底しました。

学んだことをすぐに活かしていて、しっかり伝わったようです。今回の経験がどのように学業や仕事で活かされるのか楽しみです。


同じ環境、同じ対象者に伝えるだけでは、指導技能は磨かれません。

「変わらない」ことは楽ではあるのですが、向上しないのです。ゆえに私は、自ら求めて異なる環境や対象者に伝えることをしています。

  • 言語・文化・宗教の異なる人に伝わるか。
  • お子さんに伝わるか。ご年配の方に伝わるか。
  • 障害をお持ちの人に伝わるか。
  • アスリートに伝わるか。アーティストに伝わるか。
  • 企業・団体といった集団に伝わるか。
  • 書籍で伝わるか。文字で伝わるか。
  • テレビで伝わるか。ラジオで伝わるか。

普遍性と再現性をもって、より広く、より深く伝わるのが真の内容です。

今後もあらゆる挑戦を続けていきたいと思います。

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2023/05/01

統一体とは

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このコラムは、心身統一合氣道を稽古していない方もお読みなので、できる限り、専門用語を使わずに表現するようにしています。

今回は逆に、もっとも重要な専門用語を解説したいと思います。


心身統一合氣道の「心身統一」とは何か。

「天地自然と一体であること(=氣が出ていること)」を指します。

心身統一合氣道の創始者の藤平光一先生は、初めて学ぶ方に「氣」を説くときに、「海の中で水を手で囲うようなもの」と説明しました。

自分の手の中にある水ですから、「私の水」と言えるかもしれません。しかし、そこは海の中。大海の水を囲っているに過ぎません。

そして、手の内側の水と外側の水が常に行き来をしていれば、その水が悪くなることはありません。何らかの理由で行き来が妨げられると、その水は悪くなります。

「氣」も同じで、天地自然の「氣」を自分が囲っているに過ぎません。

内側と外側で常に氣の行き来があることを「氣が出ている」といい、その氣が悪くなることはありません。何らかの理由で行き来が妨げられると、その氣は悪くなります。

私たちは天地自然の一部の存在ですが、その繋がりを忘れると、「孤」の存在になり、氣の行き来が滞ってしまうのです。氣が滞ることで、心身や周囲との関係などで様々な不調が表れます。

氣の行き来が活発な状態が「元氣」、停滞した状態が「病氣」です。

氣の働きを理解すると、氣が出ている状態を維持できるようになります。その一つが「氣を出せば、新たな氣が入って来る」ことです。

「出せば入って来る」のは自然界の法則で、呼吸もまた同じです。息は出せば入ってきますが、先に入れようとすると停滞します。

「氣を出す」ことが重要で、心身統一合氣道の稽古の目的なのです。


稽古では、「統一体(とういつたい)」という言葉もよく用います。

統一体とは「心身統一した状態(=氣が出ている状態)」です。

統一体の「体(たい)」は、文字通りに身体を意味するだけでなく、「名は体を表す」の表現のように、事物の本質を意味しています。

つまり、統一体とは「天地自然と一体である本来の状態」です。特別な状態ではなく、本来の状態ということです。

したがって、稽古で初めて統一体を体験すると、多くの人が、人間が本来持っている力を実感して驚きます。「自分には、これだけの力があったのか」と氣がつくのです。

統一体は、ありとあらゆる動きの土台になるため、実に多種多様な皆さんが、それぞれの分野で活用しています。

統一体かどうかを確かめるためには、幾つか目安があります。

一つは「バランスが取れている」こと。

自然な姿勢には、自然な安定があります。本来のバランスを確認することで、統一体かどうか分かります。

一つは「瞬時に動ける」こと。

自然な姿勢であれば、瞬時に動くことができます。すぐ反応できるか確認することで、統一体かどうか分かります。

一つは「パワーを発揮できる」こと。

自然な姿勢であれば、無理なくパワーを発揮できます。身体に負担が生じていないかで、統一体かどうか分かります。

いずれかが備わっていない場合、例えば、バランスは取れていても、すぐに動けないようなときは、統一体とは言えない、ということです。

最も重要なことは、身体の状態だけではなく、心の状態も整ってはじめて得られることです。

心身統一合氣道を日々稽古している皆さんは、統一体を磨いて、それぞれの分野で存分に活用して頂きたいと思います。

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