カテゴリー「03-メールマガジン記事」の98件の記事

「藤平信一メールマガジン」に掲載された記事です。

2011/11/01

隙を見せない

武道において「隙を見せない(隙がない)」ことが重要です。心身統一合氣道の稽古で言えば、隙のない立ち姿や、隙のない剣の構えを訓練するわけです。隙がないことは、日常生活、特に人間関係においても重要なのですが、一体、どの様な行動が「隙」となるのでしょうか。

一つは、陰口をたたいたり、不満をもらしたりすることです。AさんはBさんに不満を持っていて、Bさんのいない時に、Aさんが陰口をたたいているとします。Bさんが聞いていないからと思って陰口をたたく訳ですが、これは隙だらけの行為です。

そもそも、他の人からBさんに伝わる可能性があり、人を通じて伝わることは、増幅したり歪曲したりします。Bさん本人に直接伝えるより、悪い結果が生まれます。

しかし、「隙」はこれだけではありません。

陰口や不平不満など、マイナスな氣を発している人には、マイナスを好む人が近づいて来ます。自らマイナスを招き入れる行為です。AさんがBさんに持っているネガティブな感情を利用して、自分が利益を得る人も出て来るかもしれません。

私は、多くの経営者に氣の原理を指導しています。そのため、指導の後に相談を受けることがあります。会社で生じる人間関係におけるトラブルの半分は、経営者みずからが蒔いたマイナスの種が原因です。隙を見せた結果、望まない人を近寄せてしまったのです。

陰口や不平不満を一切口にしない人には隙がありません。付け入る余地がないからです。経営者やリーダーなど、責任のある立場にあるほど、隙を見せない言動が求められるのです。

別の例は、大事な人を疎遠にしておくことです。

懇意にしていたAさんとBさんが、お互い忙しかったためしばらく疎遠になっているとしましょう。「BさんがAさんを悪く言っていますよ」とAさんの耳に入り、Aさんは「Bさんに限ってまさか」と思います。しかし、しばらく会っていないので、確信も持てません。確認を取るわけにもいかず、益々、疎遠になって行きます。

この様にして、人間関係が壊れることがあり得ます。

これは自然消滅ではないかもしれません。実はAさんの耳に入れたCさんが、大変悪い人間であり、AさんとBさんが疎遠なのに氣づき、自分が間に入って、両者の人間関係を悪化させているかもしれません。さらにCさんは、「私から聞いたことは内緒にして下さい」とAさんに言えば、真面目なAさんはBさんに確認出来ません。

この様に、大事な人にも関わらず、しばらく疎遠になって、氣が通わない状態をつくるのも人間関係の隙と言えます。電話一本、手紙一通でも定期的に交わしてさえいれば、何かあった場合でも、直に確認することが出来ます。そもそも、そのような人間関係であれば、悪い人間が、立ち入る余地はありません。

隙をついて、人間関係を悪くするような人間が悪いことは、言うまでもありません。しかし、ただ「悪い」と言うだけでは人間関係は守れません。そういう悪い人間がいることを前提として、人間関係でも、「隙を見せない」努力が重要なのです。

人間関係における「隙」は、他にも沢山例があるのですが、皆さんはどのくらい思いつくでしょうか。

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2011/10/01

身を護る

「悪い人から襲われた時にどの様に対処するか」それを「護身術」と考えている人が多くいます。対処を学び、日頃から訓練しておくことは良いことです。実際には、襲われてから対処するのでは遅過ぎます。

本当の護身術とは、危険を察知し、回避することです。危険を察知する訓練が極めて重要なのです。

駅のホームや電車の車内で、辺りを見回してみますと、大半の人が、携帯電話やゲーム機の画面を見ています。自分の周りにどの様な人がいるか、ほとんど関心無く、周囲に氣が向いていません。したがって、危険が迫っていても全く察知出来ません。

自分の身を護るには最低限、必要な距離があります。それを「間合い」と言いますが、人が多くいる場所では、その間合いを取ることが出来ません。電車やバスの車内、エレベーターでは特にそうですね。間合いの内側に見知らぬ人を入れるのですから、事前にどういう人なのかは把握しておく必要があります。

少しでも違和感を感じたら、その人から距離を置いたり、利用をずらしたりすることが大切です。しかし、携帯電話やゲーム機に氣を取られていると、間合いの内側に、危険を招き入れるかもしれません。周囲に氣を向けることは、身を護る上での基本なのです。

先日、雨の中、私が車を運転している際に見た光景ですが、傘を差しながら自転車に乗り、イヤホンで音楽を聴きながら、携帯電話の画面をちらちら見る人がいました。もはや、周囲のことは「無視」と言っても良いでしょう。自分から危険を招き入れているのは明白です。

日頃、外出時に携帯電話やゲーム機ばかり見ている方は、まずは一日、周囲に氣を向けてみて下さい。今まで氣づかなかっことが如何に多いか、氣づくはずです。

「身を護る」ことは人間関係においても同じです。

人間関係においても「間合い」があります。自分の身を護るにおいて、最低限必要な距離があります。物理的な距離と異なり、人間関係の距離は目に見えません。感覚によって捉えるもので、経験によって学習します。

これについては、また別の機会にお伝えします。

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2011/09/01

他の選択肢を捨てる

「決断」にはストレスが伴います。決断をすることは、決断した結果に責任を持つことであり、それは自分だけではなく、周囲にも影響を及ぼすことです。その影響が大きくなればなる程、ストレスは大きくなります。

そのストレスを乗り越える心の強さがないと、決断を避け、現状をずるずると引きずって行くことになります。

決断に至るまでは、出来るだけ正確で多くの情報を集め、緻密に分析することが必要なのは言うまでもありません。しかし、どれだけ情報を得たとしても、どれだけ分析をしても、最後は決断をしなければいけません。

決断とは「他の選択肢を捨てる」ことです。「行う」という選択肢と「行わない」という選択肢を同時に持つと、「行う」か「行わない」かで常に迷うことになります。この迷いが心をどこまでも弱くします。

「行わない」という選択肢を捨て、「行う」と心を決めれば、迷うことはなく、心は強くなります。「行う」という選択肢を捨て、「行わない」と心を決めても、心を決めるという意味で同じことです。「あの時こうしていれば」と後から悔やむこともありません。

選択肢が多いということは、良い事のようにも見えますが、同時に、迷いを生じさせる原因にもなります。

仕事を自由に選べることは、素晴らしいことですが、同時に、自分が何をすべきか迷わせることにもなります。働いても働かなくても生活が出来る環境は恵まれていますが、自分が働くべきか迷うことにもなります。

物質的に恵まれた時代になるほど、多くの迷いを生じさせ、心の面で恵まれなくなるのは何とも皮肉な話です。

合氣道の稽古も同じです。

「稽古する」という選択肢と、「稽古しない」という選択肢があると、常に迷いを生じさせます。特に社会人は多用ですから、「行かない」理由を探せば、何かしら一つは見つかるはずです。今のシーズンであれば、「こんなに暑いから」という具合です。

だからこそ、縁あって始めるのならば、「一年間は続けよう」とか、「初段になるまで続けよう」という覚悟が必要です。その為には、「途中で止める」という選択肢を捨てることです。

受け身を100本取るときも同じです。

「やらなくて良い」という選択肢があると心が弱くなります。常に迷いがあるので、心も身体も辛くなります。途中で止めるという選択肢を捨てると、心が強くなって、心も身体も楽になります。

「辛かったら途中で止めても良い」は、聞こえが良いですが、実際は迷いを生じさせ、心を弱くさせます。お子さんの教育では、特に氣をつけなければいけません。これは愛情ではなく、同情です。

これは合氣道に限らず、どんな習い事でも同じことです。せっかく始めたのに、「続ける」か「続けない」かで迷いが生じ、うやむやの内に止めてしまうのが、最ももったいないことです。

若い頃に悪い習慣を得ると、何を行っても途中で迷い始めて、途中で止めてしまうことになります。確固たる意思を以て「止める」という決断をしないのならば、「止める」選択肢を捨て、全力で取り組むことです。

「決断する」ことは「選択肢を捨てる」こと、自ら他の選択肢を捨てることで、心は強くなって行くのです。

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2011/08/01

スポーツに氣を活かす

テレビや新聞などの報道でご存じの方も多いと思いますが、大リーグ名門のロサンゼルスドジャースが経営破綻しました。

2010年1月から、若手有望選手の育成プログラムとして、心身統一合氣道会では、定期的に指導者を送っています。最初の一年間は私自身が現地に行って指導していましたので、球団の経営状態が良くないことは知っていました。しかし、経営破綻にまで悪化するとは想像もしませんでした。

経営陣は極めて困難な状況に直面していることと思いますが、何事にもプラスとマイナスの両面があるように、現在の状況が成長・発展のチャンスになることもあります。今こそ若手有望選手たちが力を発揮する時です。今後もプログラムは継続しますので、全力でサポートします。

この一年間だけでも、様々なスポーツ選手と縁がありました。どのスポーツでも共通していることは、成果を発揮するには、土台となる姿勢が安定していることです。姿勢が不安定で崩れていると、ボールを投げるにも打つにも、ボールを蹴るにも上手くいきません。

姿勢を安定させようとして、踏ん張る姿勢を取る人がいます。すると、身体には力が入ります。この姿勢が安定しているか「氣のテスト」で確かめてみると、頑張っている割に不安定であることが分かります。

自然な姿勢には自然な安定があります。人間の姿勢は本来、安定しているのが当たり前であり、力んだり、虚脱状態になることで不安定になります。自然な姿勢を身につければ、意識しなくても安定は持続し、激しい動きの中でも安定を維持することが出来ます。心身統一合氣道では、この自然な姿勢のことを、「心身統一した状態(統一体)」と呼んでいます。

多くのスポーツ選手が統一体を求めて学んでいます。

他にも、どのスポーツでも共通しているのは、大事な場面で、持っている力を発揮出来るかどうかです。この課題の解決法は「心を静める」ことです。

通常、落ち着いているとき、我々の意識は下腹にあります。日常生活では、その意識が頭の方に上がることがあります。日本語では、「怒る」ことを「頭に来る」と言います。何が頭に来るのかと言えば、意識が頭に来る訳です。また、日本語では、「緊張する」ことを「上がる」と言います。これも同じことですね。

せっかく安定した姿勢を学んでも、意識が頭の方に来ると、その安定は失われます。大事な場面で力を発揮出来ないのは、意識が上がるからです。

同じ下腹でも、力の入らない場所を「臍下の一点」と言いますが、臍下の一点に心を静める訓練をすることが大切なのです。ちなみに、「臍下丹田」という言葉は下腹全体を指す言葉で、「臍下の一点」とは異なるものです。この辺りは、拙著「心を静める(幻冬舎)」で丁寧に説明をしていますので、まだお読みでない方はお読み頂けたら幸いです。

 
多くのスポーツ選手が臍下の一点を学んでいます。

心身統一合氣道会の各道場・教室では、合氣道の技ではなく、安定した姿勢や呼吸法を学ぶ「心身統一道」のクラスもあります。スポーツの向上に活用したいという方は、ぜひお越しください。今後も、心身統一合氣道会の指導員や会員には当然のこと、様々な分野で、成長・発展を願う人々をサポートして参ります。
 

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2011/06/01

指導はコミュニケーション

藤平信一です。

私が会長を務める一般社団法人  心身統一合氣道会には、日本国内だけで300名以上の指導員がいます。

指導員は、全国でそれぞれの道場や教室で指導しています。心身統一合氣道会では、定期的に指導員講習会を開催して、「指導の方法」や「指導の心得」を私から直に指導しています。

誰にも最初があるように、指導員にも最初の指導があります。私も指導員になりたては大変未熟でした。

指導経験の浅い指導員は、自分が持っている知識や技術を、相手に総て伝えようとします。いわゆる「教えすぎ」です。勿論、これは親切心からであるのは言うまでもありません。

しかし、学ぶ側から見れば、一度に多くのことを教わっても、頭が混乱するだけで理解することは出来ません。

指導することは、教える側から学ぶ側の一方通行ではなく、教える側と学ぶ側の双方向、つまりコミュニケーションです。

相手にとって必要なことを、必要なタイミングで伝えること、それには相手の状態を良く見ることが重要です。

ちょうどこれは、医師が患者に対して薬を処方するのと同じで、医師は患者の状態を見て、患者にとって適切な薬を選びます。もし、医師が自分が知っている総ての薬を患者に処方したら、大変なことになってしまいます。

相手の状態を良く見ていないと、必要のないことまで伝え、相手を良くするどころか悪くすることもあります。

相手の状態を見る上で、特に重要なのが発する氣です。一つ例をあげましょう。

人は、理解が出来る時はプラスの氣を発しています。理解出来る状態は、氣持ちの良いことだからです。

理解出来ない時は、マイナスな氣を発しています。理解出来ない状態は、氣持ちの良くないことだからです。不安や不満が、表情の変化やしぐさにも表れています。

つまり、相手の発する氣を注意深く感じ取っていれば、相手が理解出来ているかどうかは一目瞭然です。

自分が伝えたことで、相手がプラスの氣を発していれば、指導方法は適切だと言えます。自分が伝えたことを、相手がマイナスな氣を発していれば、指導方法は適切だと言えません。教え過ぎている時も、必ず相手はその信号を発しています。

どうしたら相手が理解できるか試行錯誤し、工夫することで、指導能力は飛躍的に向上します。一方通行で押しつけているだけでは向上はありません。

道順を教えるとき、「現在地」と「目的地」の両方が必要です。目的地だけを知っていても、道順を教えることは困難です。相手がいまどこにいるか、現在地を知ることが大切です。

現在地によっては、徒歩か、電車を使うのか、車を使うのか、目的地までの行き方も変わってきます。

指導するには、「自分が何を伝えたいか」という思いだけでは不十分であり、「相手がどのような状態にあるか」を知ることが不可欠です。

このように、指導において必要な指導というものがあります。英語で言えば、"teach  how to teach"、"coach how to  coach"という表現になるでしょうか。

最近では、指導員向けの訓練を多くの企業が注目をして、伝える能力、教える能力を向上させるプログラムとして、氣の学びを取り入れています。

「指導する」コミュニケーションの能力は、心身統一合氣道だけではなく、総てにおいて重要なのです。

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2011/05/09

子供達の成長

私は一般社団法人 心身統一合氣道会の会長を務めています。この一般社団法人の活動目的の一つは心身統一合氣道を通じた社会貢献です。また、その為の人材育成をしています。様々な活動の中でも、特に重要な活動が「子供達の成長」です。

近年、日本国内の子供達に運動能力が低下していることは、新聞やテレビのニュースでご存知だと思います。これは、身体を動かすのが足りないことだけが原因ではなく、姿勢が悪いことも原因の一つです。

一般的に良い姿勢というと、背筋を伸ばし、胸を張るなどして、身体を緊張させる姿勢をイメージすることが多いのですが、実は、これは良い姿勢ではありません。

身体を緊張させると、疲れやすく、持続も出来ず、背筋を曲げた虚脱状態になってしまいます。緊張した姿勢と虚脱した姿勢を繰り返すことになります。

本来、良い姿勢とは「自然な姿勢」のことです。心身統一合氣道では、統一体(心身統一した姿勢)と言います。下記の3つを満たす姿勢のことを「自然な姿勢」としています。

  • 「最も楽な姿勢」
  • 「最も持続出来る姿勢」
  • 「最も安定した姿勢」

例えば、虚脱した姿勢になると、一瞬、楽になった氣がします。しかし、すぐにその姿勢は苦しくなって、長くは持続しません。つまり、「自然な姿勢」とは言えません。

自然な姿勢には自然な安定があります。心身統一合氣道では「氣のテスト」という手法を用いて、姿勢の安定を確かめます。

立ち姿・椅子に座った姿勢・静坐の姿勢・横になった姿勢など、様々な姿勢で、それぞれ安定を確かめることが出来ます。また、歩いている間など、動作中の安定も確かめられます。こうして、自然な姿勢を体得します。

話を元に戻しましょう。

姿勢が悪いということは、不自然な姿勢ということであり、不自然な姿勢ということは、不安定な姿勢ということです。運動能力を向上させるには、まずは基本となる姿勢を確認し、運動することが大切です。

私が当時、指導していたお子さんは、平均台が渡れずに、学校の体育の時間を嫌がっていました。お子さんの姿勢は、踵に重みを置いた不自然な姿勢で、立っている時でさえフラフラしていました。基本となる姿勢を教えて、安定を保つ訓練をしたところ、すぐに平均台を渡れるようになりました。

現在では、運動全般が好きになったそうです。このお子さんの場合は、運動能力がないというよりも、基本的な姿勢が出来ていなかったことが原因でした。この様なお子さんは他にも沢山います。

姿勢が悪いと、お子さんの身体の成長にも影響を与えます。最近では、脳の発育にも影響があることが分かっています。小学生で肩凝り・腰痛が多いのも、姿勢が原因の一つです。

基本となる姿勢は、合氣道だけではなく、他のスポーツや、日常生活万般で重要なことです。そこで、一般社団法人 心身統一合氣道会の活動の一つとして、基本となる姿勢を小中学校に普及しています。

小中学校からのご依頼を受けて、ボランティア・ベースにて、お子さん・親御さん・先生方の集まりに指導員を派遣しています。基本となる姿勢を学び、運動能力が向上することは勿論、「集中力ができた」「やる氣が出た」「印象が良くなった」など、多くの声を頂いています。

学校関係者で興味のある方は、お氣軽にお問い合わせ下さい。

 一般社団法人 心身統一合氣道会 総本部

また、拙著「心を静める」(幻冬舎)をお読み頂くと、基本の姿勢について、概要を理解して頂くことが出来ます。 

私は昨年からメジャーリーグのLAドジャースで選手・コーチの指導をしていますが、若手有望選手に指導するにも、まずは姿勢から指導しています。多くの選手が、姿勢を学ぶことでその能力を開花させています。

姿勢は何をする上でも基本なのです。

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2011/04/01

東日本大震災

藤平信一です。

東日本大震災で被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。

私が会長を務めている一般社団法人 心身統一合氣道会では、新聞社の募集する義援金に参加すると共に、自治体を通じて被災地に生活物資を送る活動をしております。今後も被災地復興の為に出来る限りのことをして参ります。

心身統一合氣道会の指導員は無事が確認出来ておりますが、一部の会員のご家族には、現在も安否の分からない方もいらっしゃいます。

心身統一合氣道会の総本部がある栃木県芳賀郡におきましては、震度6強の揺れがあり、総本部施設にも大きな被害が生じました。総本部では復旧活動のために、講習会の開催を休止しています。4月下旬までに、皆様をお迎え出来るように準備を進めています。

被災された皆様の救済が最優先であることは当然のことですが、復興の為には、世の中の活動が活発になることも重要です。東北地方にある多くの道場・教室も、すでに活動を再開しております。

「こんな時だからこそ氣を出すことが大事」と、子供クラスに来られるお子さんや親御さんも多いと聞いています。日本が元氣になるためには、まず自分が元氣になることです。本当に素晴らしいことだと思います。

今回の大震災を通して、自然災害の脅威を再認識したと共に、日頃、当たり前と感じていることの有り難さを痛感しています。

蛇口をひねれば飲み水が出るのも当たり前になっていますが、いつでも安全な水が得られることは、本当に有り難いことです。電気もガスも、交通機関も、ガソリンも、インターネット環境も、当たり前のように使っているものも、当たり前ではありません。警察や消防、自衛隊の皆さんの活動の有り難さも分かります。

日本は恵まれた環境にあり、少しでも自分に不利益があると、不平不満を述べることが随所で見られました。今だからこそ、当たり前のことへの有り難さを再認識出来ます。私自身も日常生活を振り返ってみると、いまは「感謝」ばかりです。

日本では、本日から新年度を迎える方も多いと思います。大変な時期だからこそ、共に氣を出して乗り越えて参りましょう。

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2011/03/01

声の出し方

藤平信一です。

先日、藤原竜也さん主演の舞台「ろくでなし啄木」を観劇しました。藤原さんの声は会場の隅々までクリアに届いて、声の出し方一つとって見ても感動があります。

状況にも因るのですが、100名程度の講習会の指導であれば、私はマイクをほとんど使いません。長時間の指導であれば、一日、8時間以上話す時もあります。そのため、「どうして声が潰れないのですか」という質問を、受講者の皆さんから頂くことがあります。

私はプロの歌手でもなく、役者でもアナウンサーでもないので、発声についての専門知識はありません。しかし、どのように発声に氣を活用するかは実体験があります。そこで、重要なポイントを二つご紹介します。

一つは「呼吸」です。

声を発するときは、息をはいています。つまり、息のはき方によって、声の質は変化するのです。

氣の呼吸法を訓練すると、胸を意識した浅い呼吸ではなく、臍下の一点に心が静まった深い呼吸になってきます。浅い呼吸によって発せられる声は、相手に伝わりません。深い呼吸によって発せられる声は、相手に伝わるものです。

大きな声を出せば伝わるかというと、そうではありません。小さな声であっても、伝わる声と伝わらない声があります。同じ言葉、同じ表現なのに、人によって伝わり方が違うのは、一つは呼吸によるものです。

多くの歌手や俳優の皆さんが「氣の呼吸法」を学んでいますが、実際に、発声が変わって行きます。

見た目に次いで、その人の印象を決めるのは声ですから、発声を訓練するのは大事なことではないでしょうか。

もう一つは「氣が届く」ことです。深い呼吸で発声するのが前提です。

勿論、物理的な限界はありますが、「どこまで声が届くか」は、「どこまで氣が届いているか」によります。例えば、大きな会場で隅々まで声をクリアに届ける為には、会場の隅々まで氣を向けることが必要です。

私が大きな会場で講演をする際は、必ず後方の隅々まで、氣を向けて話をするようにしています。氣が届いていれば、会場全体が一つとなる講演になります。

講演会では、聞く氣のある方が前に来る傾向があります。したがって、前列の方が反応が良いことが多いのですが、講演に慣れていない方は、前列ばかり氣を向けて、後方まで氣を向けません。すると、後方には声が届きにくくなって、後方の方はさらに講演に興味を失って行くことになります。

マイクを使うときでも同じです。マイクを使うのですから、大声を出す必要はありませんが、それでも会場の隅々まで氣が届いていることが大切です。

ただ声が大きく、良く聞き取れない講演をする方がいますが、それは大声を出すだけで、氣が届いていないのが原因です。目の前にいる人でも、氣を向けずに声を出せば、聞こえなかったり、伝わらなかったりします。

声の質に加えて、氣が届いていることがポイントです。

上半身に力みがある状態で、特に喉に力が入って声を出せば、マイクなしで、一日8時間も指導しているうちに声は潰れます。リラックスした状態で、深い呼吸で声を出せば、同じ時間、声を発しても疲れは最小限です。

氣の呼吸法を実践して、是非、発声に活かして下さい。

※ 3/12(日)の「氣の講座(大阪本部)」は私が指導いたしますが、「氣の呼吸法と発声」についてお伝えします。詳細はこちらをご覧下さい。
  

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2011/02/01

指摘を受け入れる

藤平信一です。

人間は完璧ではありません。間違いは誰にでもあります。だからこそ、人から間違いを指摘された際は、「ありがとうございます」と受け入れる姿勢が必要です。この姿勢があるかどうかで人生が変わります。

しかし、間違いを指摘されると、全人格を否定されたと思う人がいます。間違いを指摘した人との関わりを絶ち、時には敵意を向けます。自分にとって心地良いことを言う人とだけ関わりを持とうとします。

当然のことながら、間違いを指摘する人はいなくなり、考え方や行動が間違っていても、ずっとそのままです。

何年か前に、私が指導先で経験したことです。

心身統一合氣道の技の稽古で、動きが間違っているため何度か指導していたところ、ある生徒の表情が曇って来ました。最後には泣き出してしまいました。

自分の伝え方が悪かったのではないか振り返って見たのですが、同じように指導を受けた他の生徒は活き活きしています。そこで、私はその生徒に尋ねてみたところ、こんなやり取りとなりました。

「指導を受けていて辛いようだが、体調が良くないのか」
「いいえ、そんな事はありません。ただ、指導を受けているうちに悲しくなって来ただけです」

動きが間違っているので教えていた訳ですが、本人の話を聞くと「自分を否定されたと」捉えていた様子でした。そこで、私が「人格を否定しているのではなく、君が良くなる為に伝えているんだよ」と言ってはじめて、その生徒の表情が晴れました。これには驚きました。

ちなみに、この生徒は女性ではなく男性です。

どうして、このような捉え方をするのか知りたかったので、どのような環境で育って来たのか尋ねてみました。

この生徒は三人兄弟の末っ子で、それは大事に育てられて来ました。親御さんから叱られた記憶はほとんどないそうです。学校で何かあって、先生から親御さんの呼び出しがあったときも、先生から事情を聞く前に「この子は悪くありません」と庇ってくれたそうです。

友人も親御さんと同様で、間違いを指摘されたことはほとんどないそうで、そもそも自分のことを指摘する人とは付き合わないそうです。

こういった環境が、指摘をされても全く受け入れようとしない「自分が傷つかない内向きの世界」を形成して来たことが良く分かりました。

その後、この生徒は就職活動をすることになるのですが、ちょうど就職氷河期に入った事で、なかなか採用が決まりません。誰でも不採用になれば良い氣持ちはしませんが、この生徒の場合、異常なほど落ち込みます。何社か不採用になり就職活動を止めてしまいました。

採用されなかったことで、全人格を否定されたように感じたのでしょう。その後、その生徒は稽古も止めてしまいましたので、現在どうしているかは分かりません。

先日、親交のある大学教授から聞いた話です。

教授の研究室で大学院生に論文の不足を指摘したところ、「教授に人格を否定された」と研究室に来なくなったそうです。

教授の話によれば、「これでは論文とは言えない」と論文の内容を指摘しただけなので、それがなぜ人格否定になるのか分からない、と言っていました。相手は大学院生ですから、私も同じように思います。

勿論、指摘する側が重要であるのは言うまでもありません。相手の間違いを指摘するには、相手との信頼関係がなければ相手は受け入れません。しかし、指摘を受け入れられない心の弱さは別問題です。

道場に来るような人には比較的少ないのですが、道場の外で見回してみると、指摘を受けると心を閉ざす人が多くいます。相手との関係を自分から絶ってしまったり、攻撃的になって相手のことを悪く言ってみたり、切れてしまったりします。

子供から嫌われないよう間違いを指摘できない親。
生徒から嫌われないよう間違いを指摘できない先生。
部下から嫌われないよう間違いを指摘できない上司。

現代の日本には、自分にとって心地よいことだけを言う人が良い人だと見る風潮があります。現代の日本が抱える大きな課題です。海外で学ぶ日本人学生の評価は落ちていく一方ですが、こういったことに、問題の本質があるのではないかと私は思います。

だからこそ、指摘を受け入れる訓練、心を強くする訓練が必要です。武道が日本社会に果たす役割の一つではないかと考えています。

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2011/01/11

氣の意志法

藤平信一です。

心が何かにとらわれることを「執着する」と言います。日常生活において執着することが多くあります。

過去の成功もその一つです。本当に重要なのは現在であるはずなのに、過去の成功に執着し、心が未来に向かないことがあります。

過去の失敗もその一つです。失敗から学び、成功するまで諦めずに続けることが重要ですが、過去の失敗に執着し、挑戦を止めてしまうことがあります。

過去の経験もその一つです。この世の中に同じことは何一つとしてありません。毎回毎回、初めてのこととして取り組むことが大切なのですが、過去の経験に執着し、惰性で行うことがあります。

いずれも執着することで、心が止まってしまう例です。

経営者やリーダーにとって、執着することは命取りになります。経営者やリーダーの判断の一つは「撤退」です。特に、それまで積み重ねて来たものが大きいと、それに執着し、今さら退くことは出来ないと強行します。それが判断を誤らせることになります。

最後までやり遂げる氣力が必要なのは言うまでもありませんが、その氣力を発揮することと、執着することは意味が違います。自分の判断が本当に正しいかどうかは、執着を取ることで初めて分かります。

心身統一合氣道の稽古でも同じことがあります。

力の強い相手に手首を持たれると、持たれた場所に執着をして、持たれた場所から動こうとします。動かないのは手首だけで、他の場所は自由に動かせるはずが、動けなくなってしまうのは執着するからです。この時、臍下の一点に心を静めて、相手に手首を持たせれば、動ける場所から自由に動くことが出来ます。

剣を構えて対峙するとき、多くの人は相手の剣先に執着します。すると、剣先以外が目に入らなくなり、氣の動きが分からず、相手の動きに対応出来なくなります。臍下の一点に心を静めて剣を構えることで、相手の全体が見え、相手の動きに自由に対応出来ます。

何かに「執着する」ことは、それに心を止めてしまうことです。心を止めてしまうと、もはや何も出来なくなってしまいます。訓練によって、執着をやめ、心を自由に使えるようになります。その具体的な訓練方法が「氣の意志法」です。氣の意志法には三つあり、一つは集中法、一つは拡大法、もう一つはそれらを継続するものです。

来月に開催する「氣フォーラム2011」では、臍下の一点に基づき、その「氣の意志法」を丁寧にお伝えいたします。皆様のお越しを心よりお待ちしています。

「氣フォーラム2011」の詳細はこちらをご覧下さい。

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